11月13日の日記

2004年11月12日
この何日間で、ずっと連絡を取っていなかった大学時代の同僚たちと、電話で話す事があった。きっかけは、同僚の弟が病気を苦に自から死を選んだ事だ。

留守電に緊急の連絡があります、と残した一番に報告を受けた後輩と、話してお通夜や葬儀の時間を聞いたけれども、どんなに話しても現実味がなかった。久しぶりに話をするその話題が、葬式や、お通夜の話なんて奇妙だった。

 職業が坊主なので、そんな話は日常しているのに、この場合全然別の話をしているかのようだった。これは数年前、やはり大学時代の友人のお父さんが亡くなったとの電話を受けた時と同じ感覚。
 お寺の住職であるお父さんは、本堂に生けるお彼岸用の花を買ってきて、駐車場に入った。そのまま意識不明になり、車からなかなか出てこないのを、いぶかしく思った家族に発見されたものの、そのまま亡くなった。
あの時、私はお彼岸の法要を手伝うために車で向かっているときにリアルタイムで、「今倒れた」「いま、病院に入った」「手術をするらしい」「もうだめらしい」との逐一入る連絡を聞きながら。結局お寺でなく、病院に直行したことを思い出す。
その時も、現実味がなかった。

あの時と同じ感覚。現実味がない。

 今日は京都に電話をかけた。本山の人員入れ替えに伴って、勤めている後輩もいなくなったのでは?という話を聞いて、気になったからだ。
結果は相変わらず元気で勤めていたのでほっとした。三歳と五歳の子供を抱えて、金銭的には大変だと不満も口にしていたが、全体の話っぷりからは幸せそうな風が吹いてきた、電話の向こうでは子供たちのぐずったり、笑ったりの声が聞こえてくる。
生の息吹が電話越しからでもまぶしい。

ふとうらやましくもなるが、自分に子育ては耐えられないかもと思ったりもする。

 自死を選んだ後輩の弟の事よりも、その兄である、後輩自身の事が気になっていたが。先日電話がかかってきた。声を聞いていると大丈夫そうだった。
今日手紙が届いた、弟の死を通して真宗の学びを深めたいと、坊主らしい事が書いてあったが、本当の心境はそれどころじゃないはずだ。

いま私の年齢はちょうど生や死が激しく交錯する所にさしかかっているようだ。

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