東北へ4 続 宮沢賢治博物館 「雨ニモマケズ」
「雨ニモマケズ」

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち

慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず

野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば
行って看病してやり

西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず

そういうものに
わたしは
なりたい

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宮沢賢治

宮沢賢治は子供の頃大変過保護に育てられ、また泣き虫だったという。
最後には無理な農作業などで体を壊し、肺結核で亡くなっている。

そして、賢治の詩や童話が世に認められたのは、亡くなってからずっと後の事であって、37歳で亡くなるまで苦労しっぱなしである。

私は賢治が農業にいそしんでいた事は知っていたし、写真を見てもとっても丈夫そうな印象を受けていたので体が弱かったというのは意外でした。

そう知って、もう一度「雨ニモマケズ」の詩を読むと、この詩は賢治の理想の表明ではなくて、詩の内容とは真反対に生きるしかない自分自身との葛藤から噴出した祈りの言葉のように思える。

「こうあったらいいのにな」という理想の人間を描いたのではなく、「そういうもの」の心を既に持っている何者かを褒めたたえた讃歌なのだ。

「雨ニモマケズ」は実際は一滴の雨にさえ翻弄されて負けてしまう丸裸の賢治が、自分とはまったく反対のやさしい気持ちに触れた時の詩なのだと感じる。

仏教に傾倒した宮沢賢治にとっては「雨ニモマケズ」に出てくる「そういうもの」とは仏様の事である。だからこの詩を読む人は「頑張って立派な人間になります」という思いになるのではなくて、優しい人に包まれるような気持ちになって心が温かくなるのは、そんなところから来ているのではないだろうか。

ちなみに「一日4合の玄米は多い」と思った事ありませんか?
私も一日4合食べるのは無理です。博物館の中でもそんな事を友人と話していました。

でも考えてみると、玄米の他には一汁一菜だし、今の私たちのようにおやつタイムとか、ちょっとジュースを飲むとか、無いでしょうし。そして今よりももっと激しい農作業をしている事を鑑みると4合の玄米でも遠慮しつつ書いたのかも、なんて思います。


岩手の椀子そば美味かったです。36杯たべました。
2.5人前くらいの分量らしいです。年なんで無理はしませんでした(^^;)

お勧めのサイト「松岡正剛の千夜千冊」 (宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の書評)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0900.html
大変詳しく書いてあります。

10月13日の日記

2005年10月13日 旅行
10月13日の日記
さて、もう大分日が過ぎてしまったので夏の思い出になりつつありますが、東北への旅二日目は、花巻の名所!宮沢賢治記念館 に行きました!

 宮沢賢治の童話「注文の多い料理店 」に登場する山猫軒 が本当に建っています!もちろん食事が出来るレストランです「どなたさまもどうかお入りください。決してご遠慮はありません。」と玄関に書いてあります。
山猫軒2
食べられるかもしれないですよ、用心して入って下さい(笑)

仙台・花巻にはよっぽどご縁があるらしく、訪れるのは5回目になる、その度に宮沢賢治博物館も訪ねている。イーハトーブの国岩手、大好きです。

宮沢賢治は日蓮宗を熱心に学んでおり浄土真宗とは決別したと言われているが、彼の童話や詩にはお念仏の心が随所に現れている。それは両親が熱心な念仏者であった事が、後に日蓮宗に改宗したとはいえ、宮沢賢治にお念仏の教えが染み込んでいた事を表しているのでしょう。

10月2日の日記

2005年10月2日 旅行
10月2日の日記
さて、東北旅行へ行く途中、なかなか一緒に並んで写ってくれないT夫婦。照れているのでしょうが、何度一緒に撮ろうか?と言っても「イヤー」というので、「二人は仮面夫婦か?」と言うと、笑ってました。
だから素敵な奥さんを写すことができませんでした。

途中、こんな事をしつつ集合場所の花巻へ。お姫様の腰の当たりにウサギがいるのが見えます。
なんとこのSAではウサギを放し飼いしているようなのです。
うさぎ可愛かった↑

結局ゆっくり休憩しながらの行程ながら、8時間ほどで岩手県花巻の大沢温泉 に到着。菊水館 という宿は昔ながらの風情を残す、初めて来たのに久しぶりに故郷に帰ったような、懐かしい気持ちにさせる旅館である。渓谷沿いに建っており、宿からは流れる川を見下ろすことができる。

建物の中は増設を重ねたせいだろうか、迷路のようになっていて、アップダウンもある。昔の建物へ入って行くと、タイムスリップしたような気持ちになる。「千と千尋の神隠し 」を彷彿とさせて、館内を歩いているだけでわくわくする。

その日は温泉に入って、すぐ晩御飯。

露天風呂。川の流れを見下ろし、目の前には山の緑が素晴らしい。そして混浴!
だけど女性はいませんでした(子供一名)一緒に来たT君の奥さんが挑もうとしたが、
入ろうとドアを開けたとたん、先に入っていた20名ほどの男達が一斉に振り向いたので、恐れをなして去っていきました。あんな風に見られたら誰だって入るのが怖くなるでしょう。

その晩は、久しぶりにあった仲間と楽しく飲み、子供達と遊びました。

東北への旅

2005年9月4日 旅行
東北へ29日から31日までお休みをもらい、花巻&仙台へ行ってきました。

大学時代の友人達と年に一度集まる事になっている。大学時代は月に一度勉強会をしていたのだが、一時間ほど親鸞聖人著述の『教行信証』を読んだ後、ファミスタ や酒盛りやガンダムやエルガイム やファイブスターストーリー やさだまさし で盛り上がっていた仲間である。
(かなり偏りがあるが、実質私たちの先生だったH君の趣味を並べてみた)

現在その仲間で結婚していないのは私一人だけ。みんな奥さんか子供連れである。毎年会うたびに友人達の子供が成長しているので、ビックリする。

私が子供の頃「お!しゅうちゃん大きくなったな? わしも歳を取るはずじゃ!」と感嘆していた親戚のおじさんの気持ちが最近よくわかる。

それで今年は仙台に住むA君が旅行の日程を組んだので、仙台・花巻が集合場所になったのだ。
ちなみにその他のメンバーは現在岐阜・敦賀・石川・名古屋・新潟にいる。

私は敦賀のT君夫妻と一緒に車で行く事にした。天気にも恵まれ快調なドライブ!

昼食場所は米山インターで食べた名物サバサンド!
「これぞ、よねやまSAの(下)の名物です!」サバサンド(大・小)?300・200(税込み)
人気芸能人も食べてビックリ!トルコのファーストフードをアレンジして作ったところ人気抜群。
テレビ・ラジオ・雑誌等で何度も紹介されている商品です。
辛みをとった玉ねぎをたっぷりのせてレモン果汁もたっぷりと!味ポンも新規登場です。」
と書いてある。「人気芸能人も食べてビックリ!」とのキャッチコピーに惹かれて(小)を食べてみると。
ビックリはしなかったものの、大変美味しかった!米山PA(下)にお寄りの際は是非お試しを。

その他岩のりさざれそばも食べました。これが、また美味しくて、貝柱と岩のりがこれでもか?!というぐらい山盛りにのっけてくれて、そばつゆにのりと貝柱のダシがしみ出し、えも言われぬ味のシンフォニーを舌の上で奏でるの!(美味しんぼ風に)

と食べ物の話ばかりになってしまったが、旅は始まったばかり。

つづく 

ー次回予告ー
「仮面夫婦がおりなす愛憎の旅。北陸発、新潟・会津若松編」
北大路魯山人 山代にて
昨日は午後からお休みを貰って、小松観光をした。
先ずは日の出町の合同庁舎7階で小松の町を一望しながら、ランチを食べた。合同庁舎のランチは安くて美味い、そして眺めがいいし混雑する事も無い。お勧めの場所。いってみまっし!

その後、山代温泉の北大路魯山人にゆかりの宿を巡った。始めは魯山人が始めに滞在して刻字看板を彫っていた別荘「いろは草庵」 。 玄関から上がり、左側一階と二階は昔のままになっているが、その宿の奥の展示室は改装されている。その部屋がとっても素敵だった。

さらに、一通りの魯山人と山代との歴史を笑顔の素敵なお姉さんが解説してくれるのだが、この説明がわかりやすくてよかった。魯山人が食通になったり、器を創るようになったのも、ここ山代に滞在したのがきっかけだったのだ!
もし、魯山人が山代に来てなかったら、「美味しんぼ 」に海原雄山も登場してなかったかもしれない!

上の写真の部屋で加賀棒茶(水だし)と金平糖(きんぺいとう) ー金沢の金箔がまぶしてあるのでわざと(きんぺいとう)と名付けているー をサービスしてくれる。これで入館料500円は安い!

しかも、プラス500円出せば魯山人ゆかりの宿 の魯山人ギャラリーを周ってみる事が出来る。

「吉野屋 」、「白銀屋 」、「あらや 」「たちばな 」「山下屋 」。上の紙が入場券代わりで、宿の受付に行けば、はんこを押してくれて。案内してくれる。どこの宿も立派でした、みんな親切に案内して下さいました。

その中でも「白銀屋」は一生私は泊まる事が無いであろう高級感あふれる造りで、玄関に入るだけでも小市民の私はビビりました。中にはいるともっとすごい世界が構築されており思わず感嘆の声を上げてしまいました。魯山人の器を見れるだけでなく、こういった旅館の内部を見るだけでも500円プラスして各宿を巡る価値があります。お勧めです!

その後、山代温泉の総湯 に入って汗を流した。
ひさしぶり大変有意義な一日だった。
東京エピソード2
乗った飛行機はボーイング777。500人以上の収容量を誇るが、さすが東京行きだけあって、満席である。

飛行機に乗るのはいつも緊張する。
飛行機って揺れるんですよね〜
ほんと、新幹線の方が静か。

しかもガタガタと揺れる。

しかし、そんな緊張する飛行機の中にステキなスチュワーデスさんがいました!
芸能人にたとえると、安藤美姫と石原さとみを足して二で割った感じで、さらに結婚した新妻さんという感じのスチュワーデスさん!!しかも、私の座った席は、いわゆるお見合い席といわれている席の二列目だったのだ!!

だけど顔を見る事は中々出来なかった。真っ正面だとさらに無理だったろう。

そんな事を思いながら顔を見る為にまず遠くへ視線を投げる、ちょうど機内の真ん中に位置するこちら側から視線あげてみると、席越しの後ろ頭が沢山見える。

飛行機が揺れると頭も揺れる。まるで収穫を待つばかりの熟したみが、風に揺られているように、同時に左右に揺れる。
不思議な感じがする。

飛行機が揺れると飛行機にいる500人余りの人の頭がもれなく同時に同じ感じで揺れる。スチュワーデスさんの頭も当然揺れる。

「私の頭も揺れているのだろう」

変なところで連帯感を感じる。
あわせようと思っても会わせる事が出来ない世界で知らず知らずのうちに同じ事してる。共感してから合わすんじゃなくって。気がついたら合っている。

頭の中で、この飛行機の中をもっと広げて地球という乗り物に移し替えてみる。「宇宙船地球号」なにげなく、なんとなく出会っているようでも、この地球に乗り合わせたというだけで、凄い事なんだ。ましてや同じ飛行機に乗り合わせるってことは凄い事なんだ。

そうだ!

スチュワーデスさんに声をかけてみよう!!!

なんのこっちゃ(*^o^*)

なんて事を思っている内に羽田に到着。

デッキを出る時にスチュワーデスさんの「ご搭乗ありがとうございました」のステキな声に送られて、いざ東京モノレールへ。

東京エピソード

2005年6月25日 旅行
東京エピソード
写真の看板「国立ビアホール」
一瞬「こくりつビアホール」と読んでしまった。
どんなんやろ〜 コクリツのビアホールって!
やっぱり、国立だから国家公務員免許を持ったスペシャリストがバーテンとか!?
ビールの泡立ちが国指定のすばらいいものとか!?

アホですね
答えは「くにたちビアホール」

国立駅のすぐ近くにあるのだからわかっても良さそうなものを・・・。
駅の近くになくてもふつう間違えないか(^^;)
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起きると7時だったが、前の晩に馴染みのお気に入りのお店「蔵くら」で調子良く飲んだので少々辛い、もう少し寝る事にする。飛行機の出発は8:30なのに!

しかし空港は近い、車で15分もあれば行けるのである。支度といっても、一泊分のシャツとパンツに着替えの靴下・T-シャツがあればいい。
あ、あと常備薬も、そうそうシェーバーもいるな、航空券忘れたらおしまいだぞ、財布はちゃんとあるし、今髪伸ばしてるし、クシも忘れたらあかん。アレ?なんだかやる事いっぱいあるな。
と、思いつつもあと10分だけと自分にいい聞かせながら眠りをむさぼる。

結局起きたのが7:45分頃、今の自分に優しいと未来の自分は厳しい状況に置かれる。そうやって生きて来てはや38年。懲りない男である。
準備をしているとあっという間に8:00をすぎる。ギリギリだ。急いで外に出ると。

ああ!!!!!!!
車が無い!
そう言えば、飲んだ日は代行代金がもったいないので、自転車で帰ってるのだった!(注)ー自転車でも違反になりますー
急いでタクシーに電話するが、何度かけても話し中。この町でこの時間帯になんで!?

絶望的。しかし、こんな時に恥も外聞も無い。普段は挨拶程度しかしない隣の住人の呼び鈴を鳴らす。不幸中の幸い。家人は在宅。奥さんが出て来た。

事情を話したら、快諾してくれて空港ロビーに着いたのが8:20分!
隣のマダムありがとうございます!感謝!!

素敵なスチュワーデスさんに「手続きは15分前に住せて下さい」と結構きつめに言われた。手続きの始めと中頃と最後に三度も言われた。

いつもにこやかなスチュワーデスさんにキツく怒られるとなんだかよけいキツく感じる。でも、普段見せない顔をかいま見れて、ほんのちょっと嬉しかったりもする。(妄想へきあり)

こうして、今年3度目の東京行きがスタートした。
飛行機の中で「タイヤがパンクしませんように」「トイレから白煙が発生しませんように」と祈りつつ。
東京へ行って来ましたー美人なお姉さんは好きですか?ー
石川県は昔から繊維産業が盛んなところで、お参りに行っても「むかし機織りをしていました」というおばあちゃんに会う。昔はここ小松でも、町中いたる所で機織りの音が響いていたそうだ。京都の西陣織は、その多くが石川で織られている、とおばあちゃんが話してくれた事がある。

写真は昨日撮ったもの。左にいる男性は今話題の「電車男 」
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Aquarius/7075/trainman1.html
ではなく、わたくし(暴)
で、右にいる素敵な女性は私の彼女
ではなく、「エルメス」
な訳なく
店員の方です。写真でも美人さは伝わると思いますが、実際はその10万倍くらいかわいいです。その10万倍あたりの事をどうしても書きたい(笑)

東京は電車で移動する町である。そして凄く歩く。小松にいるときより歩く!すたすた歩く。東京の駅や町中では歩くスピードが速い。それは忙しいからではなく、みなが遠慮しあっているからだ。「他の人は忙しいのだから、私もそれに合わせないと」と、皆がお互いを気遣っている。
そんな気がする。
ふらふらしているとぶつかるので一瞬の判断で「オレはコッチへ行きます!」と意思表示をしながら、サッと歩くのが暗黙のルールである。

人ごみの中、ぶつからないように電車に乗ると様々な女性が出入りする、もちろん男性も出入りするが私の眼中には入ってこないんだYO。普段おじいちゃんおばあちゃんと親しくさせてもらっている、坊主の目には毒である。(毒って美味しいんだよ)そんな私の目に飛び込んでくるのは、ファッション雑誌から飛び出て来たかのようなお姉ちゃんである。

そう、その名を「オネエチャン」と言う。

歳は私の方が完全に上だが、モデルオーラを放って闊歩している女性は、私がいくら年を重ねても一生涯「おねえちゃん」として映り続ける事だろう。

ところが、写真の女性は違う。美人度が別次元にある。
着飾って勝負する美しさの土俵にいない。美人はつんつんとお澄まし顔で歩いているが人が多いが、それもそのはずである。もともと美人な人がイザ東京のオシャレな町へと、さらに気合いを入れて出陣しているのだから自ずと自意識過剰になる。
そう言っているこの私でさえ東京で歩いていると、いつもと違った心地になり、それが歩き方や姿勢に現れてくるのを感じる(当社比)

写真の女性は、ナチュラルであった。(ちなみに「今日は化粧をしていない」と言ってた)東京で(もちろん東京以外でも)ナチュラルである事は難しいと思う。美人な人は、沢山のいろんな人の視線にさらされて、それを受け入れたり跳ね返したりと大変だと思う。その視線に耐えられず女性は人の視線に作られた美人になってしまう。

だから、「雑誌から飛び出て来たような美人」が目に入ってくるかもしれない。
本当の理由は「美人が好き!」だからですね。

う〜ん、うまく書けない。

10万倍のあたりを私の文章力では書けませんでした。会ってみなきゃわかんないです。
本当は、もう一人素敵な女性がいます。
すてきな店員のいる金沢発の「SHARO」 に是非、足を運んでみて下さい。
ものを作り、商品を厳選し、提供する原動力は人の気持ちや情熱なんですね。ファッションに無頓着な私ですが、「SHARO」 の商品と人々にはぎっしりとそれらが詰まっています。

今バーゲン中です、私はジーンズとT-シャツを購入しました。
http://www.sharo.jp/

自転車の旅

2005年6月14日 旅行
昨日は久しぶりに自転車で山へ。

お気に入りのマウンテンバイクをスリックタイヤに変えて。いざ出発。
天気もいいし、久しぶりの長距離にも関わらず、気持ちよく進んだ。

自転車のいいところは風を直接肌で感じたり、初夏の木々の香りを体いっぱいに受ける事が出来る点だ。町中から山へ入っていくと、風が冷たくなって来たり、緑や山土の香りが刻一刻と変化してゆくのをじかに感じる事が出来る。川が近くに流れていると、その流れの音や香りもしてくる。鳥がさえずり・・・ う〜ん素敵だ。

などと、ブログに書く事を考えながら走っていると虫が口に飛び込んで来た〜!
これはたまらん!油断大敵である。

いよいよ山深く入っていくと、目の前に「熊に注意」の看板が!
そういえば先日、岩手で熊に襲われたニュースみたな。
鈴などを付けて音を出していれば、熊の方からさけてくれるって言ってたな。

鈴は用意していなかったので、歌を歌いながら登る事にした。
歌ってみると、最後まで歌える曲が無い事に気づく。「imagin」や「上を向いて歩こう」を歌ったが、そこで気づいたが。
歌を歌いながら自転車をこぐのは以上に疲れる。そうでなくても坂はだんだんキツくなっているのだ。しかし、熊さんに出会うかもしれないし...

しかし、体力の消耗激しく結局黙って走行。今度鈴を持っていく事を固く決心しながら。

途中、要所要所にわき水があり、その水が美味い! 自然の恵みである。

2時間弱で目的地の「生雲」に到着。お昼御膳とビールを飲み。生き返る。
二階の展望台で昼寝をして。山を下りた。

帰りは坂道なのでなんと30分で町まで降りた。
今年は全国的にも有名な「ツールド能登」に挑戦する。

自然とのふれあいは、命を回復してくれる。
自然に触れても根性は治らないけど、自分が思っている以上の、すばらしい、直す必要の無い根性が突き出てくる。

いい事ばかり書きたいが、本当はなんども自転車を押して登ったし、虫が顔の周りをぶんぶん飛ぶのがうっとうしくて、「こら〜」って何度も叫びました。

おまけに、熊には会いませんでしたが、ニホンカモシカに出会った。相手が逃げてくれたから良かったものの、あれが突進して来たら、どうにも出来なかったでしょう。

しかも二カ所で・・・
鈴 = 必需品 (^_^)
先々日と昨晩二夜、映画を見てきた。ザ・インタープリターとミリオンダラー・ベイビー やはり映画は映画館ですね〜(^^) 久しぶりに夜のお参りがなかったので、大好きな映画三昧。

さて、国立博物館を出て、上野の近くの牛丼屋でお昼を食べた後、いざ帰途へ。少々後ろ髪を引かれながら、東京を発つ。

途中インターで休憩を取りながら、帰途についたのは5時前、
はや〜い!

そんなこんなで、この旅行記はあっさりおわりである。

その後、実家の母親と話す機会があり、日帰り旅行の話をした。
すると、
「あんたが中学に入学した年に上野の国立科学博物館に行ったね」
と言うのである。
そういわれても、まったく記憶になかった。
「二泊三日で東京に行ったんじゃけど、あんたは二日目も見たいと言い張って、一人で恐竜展に行ったんよ」

「 へ〜 」と、力ない返事をした。

そこまで説明されても、やはり全然思い出せなかったのである。
「甲斐のない子じゃね〜」と母。

「そういえば、東京に行ったのは覚えとるよ」
「でも、東京のおばちゃんと三人でどこかの洋服屋さんに連れて行かれたのと、そのあとおいしい料理屋に連れて行ってもらったのを覚えとる」
たしか東京のHおばちゃんが、「ここの店長は絶対このフランスパンをどこのパン屋から仕入れているかを教えてくれないのよ」と愚痴っていたのを覚えている。
「洋食屋ではおいしいフランスパンの出所は絶対秘密なのよ」
フランスパンの出所が知りたいというよりも、そんな事情を愚痴れる自分がうれしいという感じである。
母は続けて、その日はプリンスホテルに泊まって、三人で寝たんよ。一つは移動式ベッドであんたがそれで寝るはずだったのに、ふかふかのベッドで自分が寝たいと言うもんで、私がそっちで寝たのを覚えていないの?

さらに、
「お昼には、そのホテルでクレープを食べたんよ、それが、フルーツがたくさん入っていて、すごくおいしかったんよ。」「あの当時、初めて見るデザートで、コックさんが目の前で薄くクレープを焼くのを見てあんたビックリしてたでしょう」
「でも、わたしはその値段にビックリしたわ。3,000円もしたのよ。うっひゃ〜」

なんじゃそりゃ。でも、確かにうっひゃ〜である。

しかし、そう言われてみると、だんだんそのような気がしてきた。しかし
子供の頃、心をときめかせて恐竜の化石に見入っていたハズの記憶は全く思い起こされてこず、そんな、ある意味どうでもいい記憶しか思い出せない今の自分が、なにか、よその人のように感じられてきて、少し寂しくなってきた。

国立科学博物館へは、駐車場を降りて塀沿いに正面入り口まで歩いていくのだが、途中にペンシル型のロケットが空へ向かっていつでも発射OKと立っていた。
それを見たとき、初めて見たのではないという思いがよぎった、ような気がする。

あるいはそう思いたい気持ちが、今になってそう言わせてるのかもしれない。

子供の頃好きだった恐竜は、ステゴザウルスとチラノザウルス、あと空飛んでるやつ。だった。

恐竜展入り口には、子供ずれの親や中学生、小学生が、高ぶる気持ちを抑えられない面持ちでたくさん並んでいた。

並ぶ位置がわからない中学生が不安そうに係員に話しかけていた。

その列の中に、あの頃の自分も確かに居たのである。

おわり

恐竜展4

2005年6月1日 旅行
昨日風邪を引いてしまった。しかも昼の3時頃に急激に風邪の症状が出て、自分でも何故かわからない。串のお医者さんに見てもらい、薬をもらった。

大変辛かったが、晩は同僚の試験合格祝いだったので、ニンニクをたっぷり付けて焼き肉を食べた。
二次会はキャンセルして、早めに寝たので次の日はほぼなおったようだが、万全を期して、ゆっくりさせてもらっている。

さて、恐竜展への旅日記も4回目を迎えました。
書いているうちに自分でも忘れていましたが。上野の国立博物館には。恐竜展を見に行ったのではなく。ボタニカルフォトを見に行ったのである。
では、なぜ題名が「恐竜展」なのか? それは最後にわかるはずです。

さて、紆余曲しながら上野の国立博物館に到着、しかし早くつきすぎて大分待つ事になる。待っている間にどんどん人が増える。すべて恐竜展が目当ての人ばかりで、その人たちは並ぶ場世も違う。ちゃんと、チケットを持っている人、まだ購入していない人の列と。到着したばかりの時は閑散としていた入り口が活気を増してくる。そのうち、おそらくこの上野の公園がショートカットになるのだろう、通勤のサラリーマンらしき人や自転車に乗った学生、朝の犬の散歩をする人など。人が湧いてくる如く増えてくる。

そうこうしている内に入館の時間だ。入ったなり、自分の中の子供心が蘇ってきた。恐竜展は別料金だし、見ている時間もないので最初から見る予定ではなく、わたしも恐竜をどうしても見てみたいという強い気持ちはなかった。「どうせ骨でしょ」という感じだった。

しかし、目当てのボタニカルフォトへは一階の常設展を通るようになっており、その展示が素晴らしいのである。自分の中で眠っていた、冒険心、探究心がそそられてくる。地球上に生きている、様々な生物達、その大きな骨格から放たれる、とてつもなく大きな生き物の息吹。剥製の動物たちが私たちをぐるりと取り囲んでいる。
同じような微生物が詳細に分類されている様に圧倒される。

それは、私の中に昔はあった、世の中へ対する興味をかき起こした。
ず〜とここに居たい!恐竜展みた〜い。子供だったら、地団駄踏んでいたかもしれない。

宮さんのボタニカルフォトは素晴らしかった。
それを見終わった後、時間は2時間ほどあったはずだが、目的の展示を見た住職たちはすでに外で待っているとの事。

しょうがない

「宝の山を目の前にして、むなしく手をからにして帰る」という蓮如上人の言葉があるが、日帰り旅行ゆえしょうがないのである。

常設展も一階部分しか見る事が出来ず、帰途についた。

恐竜展3

2005年5月31日 旅行
ナビはあるし高速を使ったので、当然迷う事無く東京へ。しかし高速をおりてから上野までの道のりで、何度も迷った。
ナビが迷うのである。標識があるのでその通り行けばいいのだが、ナビを信じてしまったり、車線変更に間に合わなかったりで、散々だった。

迷い始めは、降りてはいけないところでおりてしまい、新宿中央公園そして都庁前、しかも片側5車線の大通りになれていない田舎者の私は、交差点で間違って、反対車線に侵入!助手席の方が驚いて注意してくれたので、咄嗟に横断歩道をくぐり抜ける形で、本来の道へ。
都庁前で恐るべし交通違反!石原都知事に怒られるところでした(^^;)

さあ、気を取り直して上野への環状線へ戻ろうとしたら、いい感じで酔っぱらっている後ろの座席の方が、「わし、今度は東京タワーを見たい」なんて、冗談でやじる。

戻る途中、なんと左手に東京タワーが出現、ワゴン車が盛り上がる。
「これは、はとバスか〜?」
「しゅうちゃん、迷うふりしてわざと観光案内してるの〜」
「ああ、これ見たらもう北陸に帰れるわ〜」とありがたそうに手を合わせる人。
「お母ちゃん、あれが東京タワーやでー」
と、はやし立てられる。

気を取り直して上野へ。が、アレ?テレビで見た風景が???
何故か「踊る大走査線」のテーマが頭の中で再生をはじめる。

レインボーブリッッジに突入!!!
大観覧車が見えて、橋を渡ると(もう渡るしかない)目の前にフジテレビが!
また、親父ワゴン車が盛り上がる。
「しゅうちゃん、やってくれるね。もうさすがに東京見物はないと思ってたのに」
と、またも野次が飛ぶ。
後は、近づいてくるフジテレビの品定めが始まる。
「テレビて見るのより、汚いな」とか「思ったより小さい」「裏側は普通」など言いたい放題である。しまいには
「お!堀江モンが、歩いとる!」(笑)

渡りきって、元に戻るためにまた橋を渡り直す事に、大きくUターンのコースをとる。するとモノレールの軌道が道なりに走っているのが目に入り。

「わし、モノレールが走っとるのを見たい」
と、言ったとたん、後ろからモノレールが出現!親父ワゴン車を追い抜かしていく、しかも、追い抜いたタイミングがちょうど我々の進行方向の道路を交差する形だったので、これにも車内は盛り上がった。

結局上野に到着したのは、8時頃だったと思う。東京に着いたのが6時頃だったのに・・・。

夜のドライブを経て、朝である。
しかし、親父loveワゴンは元気いっぱいである!
なぜか途中で切れてしまうので、第二弾に分けて書きます。

さて、それでは東京上野へシュッパーッツ! と出発したのは真夜中の12時。
それはなぜか?
職業柄、夜のお勤めが終わって、翌日の夜までに帰ってくる必要があるためだ。
お通夜や、枕勤めが入ったとしても、夜中の12時に出て、朝市で博物館入り、
お昼過ぎには、東京を発ち夕方に戻ってくれば、もし何かがあっても間に合う。
という段取りである。

さて、私が出発時刻についた時には、既に全員そろっていた。
みんな酔っぱらって!!
正確には3人シラフがいたが。
自分がシラフだとこんなに酔っぱらいが臭い〜とは。
車の中にいたたまれない。

でっかいワゴン車で出発、早速酒盛りが始まった。
トホホ。酒好きの私は運転する事になっているのでもちろん飲めない。

高速に乗り、途中交代しながら順調に東京まで進む。
カーナビ付きのワゴン車は酒盛りでもりあがり。わたしも運転しながら、この妙な旅行に奇妙な興奮を覚えてきた。

完全に学生ののり。そしてワゴン車のなかはみな中年以上の酒と駄馬このにおいをさせ、親父ギャグで盛り上がる。

親父ワゴンの旅
ゆけ!おやじ☆loveワゴンの旅!

恐竜展・ガオ〜

2005年5月27日 旅行
先月、上野の国立博物館に行った。車で。しかも日帰りで!かなりハードでした。
ちょうど恐竜展http://www.kahaku.go.jp/dinosaur2005/index.htmlが開催されていたが、目的はそれではなかった。

ボタニカル・フォトhttp://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2005/b_photo/を見に行く事が目当てなのである。

実はこのボタニカルフォトとは新しいジャンルの写真で、それを開発したのが、我らのお寺のご門徒さんなのである。国立博物館で展示される事はそれはもう、大変な名誉な事なのである。エッヘン(^

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