儀式の大切さ

2004年12月8日 お仕事
今、受験勉強を終えた後のようななつかしい感じである。
二日前に急に指名された、法話会が終わった爽快感と、敗北感。
結局、「ご消息」の本番では何度も間違えてしまい、読み終えた後、世話方の目が険しく光っていた。無念である。前半は上手くいったが、後半はまるでロールハッシャテストを受けているみたいでしどろもどろになってしまった。

せっかく去年上手に読めたからと、指名してくれたのに、推薦してくれた世話方も裏切られた気分ではないだろうか。残念である。

そこで強く思った事は、この伝統ある「ご消息」を今日まで相続して、その日にお講を開きそれを拝読するという事は。私が思っている以上に重大なことなのだ。

お寺さんによっては、ご消息をあたまから読まず。現代文の御文で済ませるところもあるらしい。、儀式の一環として読むのだから、どれを読んでも同じであるという気持ちがそこにはある。むしろ、その後の法話の方が大事だと思っている節もあると思う。
しかしそれは、その町の伝統をないがしろにすることになり、ひいては仏教の教えも衰退させる事になる。
自分自身坊主で、儀式に従事するものであるが。儀式の伝統の大切さを改めて考えさせられた日であった。

法話の方は、自分の採点では及第点でした。この日記に日々のお参りの事などを書いているのが、とてもいい効果を与えてくれている事がわかった。

その日の事を書いていると、しっかり記憶に吸収されるので、人に話すときもスムーズにお話が出来るようだ。
この日記に感謝!

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索