勢至の功徳2 回答1<表バージョン>
2005年2月26日 お仕事私の質問に答えてくれた方がいました。
ネットの力のスゴさを実感しました。
まずはある女性から、ちなみにこの方は、坊主ではありません。
『どんな所であっても、智恵を授けて極楽へと導きます』ってことかなー?
要するに、『智恵をもって生きていけますように!迷ったとしても必ず勢至菩薩が助けてくださるでしょう』という願いですか!
後、午年生まれの守り本尊らしいけど、その娘さんって午年生まれだったのかも?
関係ないかもしれないが、山、川についても調べてみた。下のほう参照。
------とりあえず----
勢至菩薩について調べてみた。めちゃパワフルな菩薩のようである!&派手ですな?
ただ歩くだけでスゴイ下のほうにある悪魔の宮殿をも揺すぶる程のパワーだとか?
http://www.icho.gr.jp/siryo/oushajo/ou-13.htm 他 より抜粋。
智慧(ちえ)の光で生きとし生けるものを照らして地獄、餓鬼、畜生の三悪道(さんまくどう)から離れさせ、無上の力を得させる。
この菩薩の冠には五百の宝石の華が散りばめられ、一つひとつの華に更に五百の宝石の台がついている。その一つひとつの台の中に十方の仏たちの清らかで広々とした
仏国土(ぶっこくど)が現れている。
この菩薩が歩くと十方の世界が震動し、その震動する所に五百億の宝石の華が咲く。その一つひとつの花は荘厳(しょうごん)で極楽世界そのままである。
また、この菩薩が座ると七宝(しっぽう)の国土が揺れ動き、下方の金光仏(こんこうぶつ)の国土から上方の光明(こうみょう)王仏の国土まで一時(いっとき)に震動する。その中ほどに塵の数のように限りない無量仏、観世音菩薩、大勢至(せいし)菩薩の分身が極楽国に雲のように集い、空中を埋め尽くすほどに列をなし、各々蓮華の台座に座って苦しむ衆生を救おうと説法している。
この菩薩を観る人は永劫(ようごう)にわたって生死(しょうじ)の迷いから解き放たれ、諸仏の浄土に遊ぶ。
-----山-----
山の頂上へ、阿弥陀如来の来迎があるという信仰が日本にはある。山の彼方から阿弥陀如来と観音・勢至菩薩の三尊が、上半身をあらわして、行者を来迎する。
------川------
三途というのは三途の川と一般にいわれていますが、火途、血途、刀途という地獄、餓鬼、畜生の迷いと苦しみの三つの世界であり、焦熱地獄、血の池地獄、針の山地獄ともいわれています。このような迷いの世界を強い智恵で打ち破り、仏道に入れて覚りに至らしめるというのが勢至菩薩のお力であります。
------ 一つに結ぶ------
名前の如く、得大な智慧の勢いをもって、直路(真っすぐな路)を示して、極楽浄土へ至らしめるという徳目を備える。
「觀無量寿経」には、「知恵の光をもって、普く一切を照らし三塗(さんず)を離れ無上の力を得る」と説かれ、苦しみや迷いの世界に在る者を、三世に亙って広遠に
続く悲願と、十方自在に巡らす神力を駆使して、智慧(釈尊の教えの理論や道理で、世の全て見通す、或いは理解して認識する賢さ)の光で包み、衆生を抱きかかえて成仏を促すという。 密号を持輪金剛・持光金剛・転輪金剛・空生金剛。
--------なるほど〜-----
勢至菩薩は、智恵の光をもってあまねく一切を照らし、三途(六道中の三悪道)を離れさせる 無上の力をもっているといわれ、また勢至菩薩が足をただ投じただけでも、三千世界や悪魔の宮殿をも震動するほどであるといわれています。
勢至菩薩は、西方極楽浄土の教主である阿弥陀とともに観音や多数の奏楽・供養菩薩などと雲に乗り、極楽浄土から浄土往生を願う臨終の人々を迎えに来るという信仰をもとに描かれる阿弥陀聖衆来迎図(あみだしょうじゅらいごうず)に、合掌し観音とともに聖衆の先頭部にその姿が描かれています。また、大師が中国より請来した両
部曼荼羅中の胎蔵曼荼羅、蓮華部院(観音院)にも大勢至菩薩として描かれ、衆生が本来的に持っている仏心を大きく開かせようとする意欲を示している菩薩とされています。
きっと午歳生まれの守り神として。そして勢至菩薩が今世も来世(死後)も智恵を授けてこの子供を助けてくれますように!という願いを込めてたものなんでしょうかー。
山にあろうと、川にあろうと至るところは一つである。と。
山にあるのは、智恵を求めて登る行者。川にあるのは、三途で迷える人。
そういう一切の人々を救うのが勢至の功徳である。
以上です。
凄いですね、理にかなっております。
<その娘さんって午年生まれだったのかも?>
<山にあろうと、川にあろうと至るところは一つである>
<勢至菩薩が今世も来世(死後)も智恵を授けてこの子供を助けてくれますように!という願いを込めてたものなんでしょうか>
素晴らしい解釈です。
全く違う解釈をしていた私は感動しました。そして自分がちょっぴり恥ずかしくなりました。
その内容はまた後日。
ネットの力のスゴさを実感しました。
まずはある女性から、ちなみにこの方は、坊主ではありません。
『どんな所であっても、智恵を授けて極楽へと導きます』ってことかなー?
要するに、『智恵をもって生きていけますように!迷ったとしても必ず勢至菩薩が助けてくださるでしょう』という願いですか!
後、午年生まれの守り本尊らしいけど、その娘さんって午年生まれだったのかも?
関係ないかもしれないが、山、川についても調べてみた。下のほう参照。
------とりあえず----
勢至菩薩について調べてみた。めちゃパワフルな菩薩のようである!&派手ですな?
ただ歩くだけでスゴイ下のほうにある悪魔の宮殿をも揺すぶる程のパワーだとか?
http://www.icho.gr.jp/siryo/oushajo/ou-13.htm 他 より抜粋。
智慧(ちえ)の光で生きとし生けるものを照らして地獄、餓鬼、畜生の三悪道(さんまくどう)から離れさせ、無上の力を得させる。
この菩薩の冠には五百の宝石の華が散りばめられ、一つひとつの華に更に五百の宝石の台がついている。その一つひとつの台の中に十方の仏たちの清らかで広々とした
仏国土(ぶっこくど)が現れている。
この菩薩が歩くと十方の世界が震動し、その震動する所に五百億の宝石の華が咲く。その一つひとつの花は荘厳(しょうごん)で極楽世界そのままである。
また、この菩薩が座ると七宝(しっぽう)の国土が揺れ動き、下方の金光仏(こんこうぶつ)の国土から上方の光明(こうみょう)王仏の国土まで一時(いっとき)に震動する。その中ほどに塵の数のように限りない無量仏、観世音菩薩、大勢至(せいし)菩薩の分身が極楽国に雲のように集い、空中を埋め尽くすほどに列をなし、各々蓮華の台座に座って苦しむ衆生を救おうと説法している。
この菩薩を観る人は永劫(ようごう)にわたって生死(しょうじ)の迷いから解き放たれ、諸仏の浄土に遊ぶ。
-----山-----
山の頂上へ、阿弥陀如来の来迎があるという信仰が日本にはある。山の彼方から阿弥陀如来と観音・勢至菩薩の三尊が、上半身をあらわして、行者を来迎する。
------川------
三途というのは三途の川と一般にいわれていますが、火途、血途、刀途という地獄、餓鬼、畜生の迷いと苦しみの三つの世界であり、焦熱地獄、血の池地獄、針の山地獄ともいわれています。このような迷いの世界を強い智恵で打ち破り、仏道に入れて覚りに至らしめるというのが勢至菩薩のお力であります。
------ 一つに結ぶ------
名前の如く、得大な智慧の勢いをもって、直路(真っすぐな路)を示して、極楽浄土へ至らしめるという徳目を備える。
「觀無量寿経」には、「知恵の光をもって、普く一切を照らし三塗(さんず)を離れ無上の力を得る」と説かれ、苦しみや迷いの世界に在る者を、三世に亙って広遠に
続く悲願と、十方自在に巡らす神力を駆使して、智慧(釈尊の教えの理論や道理で、世の全て見通す、或いは理解して認識する賢さ)の光で包み、衆生を抱きかかえて成仏を促すという。 密号を持輪金剛・持光金剛・転輪金剛・空生金剛。
--------なるほど〜-----
勢至菩薩は、智恵の光をもってあまねく一切を照らし、三途(六道中の三悪道)を離れさせる 無上の力をもっているといわれ、また勢至菩薩が足をただ投じただけでも、三千世界や悪魔の宮殿をも震動するほどであるといわれています。
勢至菩薩は、西方極楽浄土の教主である阿弥陀とともに観音や多数の奏楽・供養菩薩などと雲に乗り、極楽浄土から浄土往生を願う臨終の人々を迎えに来るという信仰をもとに描かれる阿弥陀聖衆来迎図(あみだしょうじゅらいごうず)に、合掌し観音とともに聖衆の先頭部にその姿が描かれています。また、大師が中国より請来した両
部曼荼羅中の胎蔵曼荼羅、蓮華部院(観音院)にも大勢至菩薩として描かれ、衆生が本来的に持っている仏心を大きく開かせようとする意欲を示している菩薩とされています。
きっと午歳生まれの守り神として。そして勢至菩薩が今世も来世(死後)も智恵を授けてこの子供を助けてくれますように!という願いを込めてたものなんでしょうかー。
山にあろうと、川にあろうと至るところは一つである。と。
山にあるのは、智恵を求めて登る行者。川にあるのは、三途で迷える人。
そういう一切の人々を救うのが勢至の功徳である。
以上です。
凄いですね、理にかなっております。
<その娘さんって午年生まれだったのかも?>
<山にあろうと、川にあろうと至るところは一つである>
<勢至菩薩が今世も来世(死後)も智恵を授けてこの子供を助けてくれますように!という願いを込めてたものなんでしょうか>
素晴らしい解釈です。
全く違う解釈をしていた私は感動しました。そして自分がちょっぴり恥ずかしくなりました。
その内容はまた後日。
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