さて、二つ目の回答です。

この回答は私もそう思ったものです。
ちょっと照れちゃう回答ですが、生命の営みを表現したものです。

<バージョン2>
なかなか、難しいお話です。
う〜ん、まったく見当もつきませぬ?
住職もわからないのでしょうか?

私の場合は、すぐに、あっちの方向に考えてしまうのですが・・・。
(^^;;
「ちいさな命である精子が、生死をかけて進んで行き、たどり着いたて、やっと一つ
の命になる。これも勢至の功徳である。だから大切に育てなさい」ということを言っ
ているのかと考えましたが・・・。
以上

どうです?
勢至の功徳を「精子の功徳」または「生死の功徳」にかけている訳です。
山川を人生の山あり谷ありそこを命がけで進み卵子と結合し、尊い命が育まれた。
(奇跡のようなできごとである)そんな子供を大事にしなさい。という意味ですね

<私の場合ーバージョン3ー>
山・川を父と母の喩えと取り、さらにそれが一つになるという意味で、
山を男性器、女性器を川に喩えたのでは?とまで想像しました。
山と川は物質としては異質なものであるが、山に川は流れ、川は山の恵みを含んで
海に流れ出る。性質は土と水であり、全く別のもであるが。一つになって、尊い命を育むものである。
というニュアンスを受け取りました。

そのあとは、<バージョン2>の方と同じく、勢至を精子にかけている。と思いました。ただし、生死という発想は全くなかったので、そこには感銘を受けました。

みなさんはどう思いましたか?

<結論>

私の場合、この子供を授かった時の歌は
表と裏の意味が意図的に込められているのではないかと思うのです。

つまり、仏法に触れて命の尊さに目覚めよ(またはそんな子供になってほしい)
という意味と、
お祝いの席で、すこし艶っぽいシャレとも取れる意味の二つです。

そうだとすると、このお坊さん一休さんばりのトンチの効いた名僧だったのかもしれませんね。

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