小学生のとき、参観日だったのかな〜?
母と一緒に下校していた。
急に母は「あんた!いい?人のうわさ話や悪口に同意を求められても、絶対その場の雰囲気に会わせて同調したらいけんよ」
と、私に言った。
「どうして?」
と聞いたものの、内心私は嬉しかった。さすがうちのお母ちゃんだ。筋が一本通っている!と誇らしく思った。
それでその一本のスジ具合をもっと聞きたくて尋ねた。
「どうして?」
「うわさ話をする人はね、自分から話を向けたくせに、同調した人が言っていた事にして、また他の人に話すものなんよ」
「そうして、噂が広がったときには同調したあんたが、その噂を広めた事になってるもんなんよ」
「だから、おかあちゃんは絶対人の悪口や、うわさ話にはその場に会わせて同調しないんよ」
「そんな話になったとき、ハッキリ「いいえ僕はそう思わない」とそう言うのよ」
と今から思えばそのような事を言った。
子供ながら複雑な思いで母の言葉を聞いたのを憶えている。
筋は通っているものの、「引っかかるなよ」というあたりが、一筋縄ではいかない大人の世界の香りがした。
私の通った中学は一年生は、必ず寮に入らなければならない。そういう教育方針であった。4人が一室に住む部屋が蜂の巣上に並ぶ三階建ての寮が二つ並んだ寮である。
その寮生活も半分以上過ぎた頃の事である。
日曜日だったのだろう、自由時間に一人音楽を聴いていた私は、ある友人に(ああ!名前思い出した(^^)書かないけど)呼び出された。
その部屋に行ってみると5〜6人がたむろして話している。私が部屋に入るなり
「しゅう、おまえ○○の事どう思う〜?」「あいつってほんと嫌なやつじゃないか?」と話しかけて来た。
心の底から怒りを露にして、一人が言い放つと、居合わせた友人たちも口々に悪口を言い出したのである。一通り一人一人が悪口を言った後。
「しゅうはどう思うんや?」と一人が聞いて来た。
どう答えたかは思い出せないが、私は自分はそうは思わないという趣の事を応えた。その時、小学校のときの母の言葉を思い出した訳でもないと思う。
いや、もしかしたら思い出していたのだろうか?その時直感的に、皆の雰囲気が妙だとは感じていた。(ハッキリ感じていたのかも)
すると、「さすが、しゅうはいいやつじゃ」
とのみなの声を合図に、部屋のロッカーから悪口を言われていた当人が出て来たのである。
無邪気な雰囲気、だからこそたちが悪く怖い遊び
当人は「しゅうは友達じゃと前から思っとたわ」と握手を求めてくる。
「なんや〜 おったんか」と握手に応じる。
そうか、きっと当時の私は、その計画に感づいていた。
そのあと、次の人が呼び出され、その子はその場の雰囲気に合わせて悪口を言った。
わたしも、その場にいてそれを見ていた。黙って。
同調して悪口を言った子は、笑いながらタンスから出て来た子にヘッドロックされながら、「ごめんごめんと」謝っていた。
これは寮生の仲間の信頼関係を前提にして行われた、無邪気なあそびだったのだ。
こわ〜
でもこんな事はとっくに大人になった世間で、無邪気ではなくシリアスに行われているではないか。
そして、それんな世の中を平気な顔でスイスイと渡り歩く人間が「かしこい」とか「酸いも甘いも噛み分けた、世の中を知っている人」などといって褒められたりする。
おかしいよね?
泣きながらでも、それに正面からぶつかる人を私は尊敬するし応援する。
私もそうありたい。
母と一緒に下校していた。
急に母は「あんた!いい?人のうわさ話や悪口に同意を求められても、絶対その場の雰囲気に会わせて同調したらいけんよ」
と、私に言った。
「どうして?」
と聞いたものの、内心私は嬉しかった。さすがうちのお母ちゃんだ。筋が一本通っている!と誇らしく思った。
それでその一本のスジ具合をもっと聞きたくて尋ねた。
「どうして?」
「うわさ話をする人はね、自分から話を向けたくせに、同調した人が言っていた事にして、また他の人に話すものなんよ」
「そうして、噂が広がったときには同調したあんたが、その噂を広めた事になってるもんなんよ」
「だから、おかあちゃんは絶対人の悪口や、うわさ話にはその場に会わせて同調しないんよ」
「そんな話になったとき、ハッキリ「いいえ僕はそう思わない」とそう言うのよ」
と今から思えばそのような事を言った。
子供ながら複雑な思いで母の言葉を聞いたのを憶えている。
筋は通っているものの、「引っかかるなよ」というあたりが、一筋縄ではいかない大人の世界の香りがした。
私の通った中学は一年生は、必ず寮に入らなければならない。そういう教育方針であった。4人が一室に住む部屋が蜂の巣上に並ぶ三階建ての寮が二つ並んだ寮である。
その寮生活も半分以上過ぎた頃の事である。
日曜日だったのだろう、自由時間に一人音楽を聴いていた私は、ある友人に(ああ!名前思い出した(^^)書かないけど)呼び出された。
その部屋に行ってみると5〜6人がたむろして話している。私が部屋に入るなり
「しゅう、おまえ○○の事どう思う〜?」「あいつってほんと嫌なやつじゃないか?」と話しかけて来た。
心の底から怒りを露にして、一人が言い放つと、居合わせた友人たちも口々に悪口を言い出したのである。一通り一人一人が悪口を言った後。
「しゅうはどう思うんや?」と一人が聞いて来た。
どう答えたかは思い出せないが、私は自分はそうは思わないという趣の事を応えた。その時、小学校のときの母の言葉を思い出した訳でもないと思う。
いや、もしかしたら思い出していたのだろうか?その時直感的に、皆の雰囲気が妙だとは感じていた。(ハッキリ感じていたのかも)
すると、「さすが、しゅうはいいやつじゃ」
とのみなの声を合図に、部屋のロッカーから悪口を言われていた当人が出て来たのである。
無邪気な雰囲気、だからこそたちが悪く怖い遊び
当人は「しゅうは友達じゃと前から思っとたわ」と握手を求めてくる。
「なんや〜 おったんか」と握手に応じる。
そうか、きっと当時の私は、その計画に感づいていた。
そのあと、次の人が呼び出され、その子はその場の雰囲気に合わせて悪口を言った。
わたしも、その場にいてそれを見ていた。黙って。
同調して悪口を言った子は、笑いながらタンスから出て来た子にヘッドロックされながら、「ごめんごめんと」謝っていた。
これは寮生の仲間の信頼関係を前提にして行われた、無邪気なあそびだったのだ。
こわ〜
でもこんな事はとっくに大人になった世間で、無邪気ではなくシリアスに行われているではないか。
そして、それんな世の中を平気な顔でスイスイと渡り歩く人間が「かしこい」とか「酸いも甘いも噛み分けた、世の中を知っている人」などといって褒められたりする。
おかしいよね?
泣きながらでも、それに正面からぶつかる人を私は尊敬するし応援する。
私もそうありたい。
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