毎月のお参りに行っていた。おばあちゃんが92歳でお亡くなりになった。
一人暮らしの老人で、足は悪かったが「内蔵は何ともない」が自慢で口癖だった。
3ヶ月前から連絡が取れなくなり、きっと入院されたんだろうとは思っていたが、なくなるとは思っていなかったのでショックだった。
毎月のお参りを欠かさないおばあちゃんは、お参りに行っても息子や孫の自慢話しや、何処そこへおいしい食事を食べに行ったけれど、とても美味しかったのであなたも行きなさい、とアドバイスをくれたりして。特に仏教に熱心なそぶりは見せなかった。
しかし、食事の話しをするのも、私が一人暮らしだからそれを心配して行ってくれていたのを知っていた。
足が痛いくて、生活に不自由しているのにほとんど愚痴を言わず、
「こうやってなんとか元気で生活させてもらっておるのを、喜ばんならん」
と自分を励ましておいででした。
そんなおばあちゃんに、私のほうからも仏教の話しをした事はなかった。
(もともと、苦手なのですが。そういう事でもなくて)
私は以前、自分が入院した経験から、病気の話しを聞いてもらう事(心配してもらう事とも微妙に違うのですが)を病気を抱えている人は好むと知っていたので、毎月かならず(私は医者でもないのに)足の容態を聞いて、帰る間際には「おばあちゃんお大事に」と言って帰っていた。
私が風邪などで喉を痛めているときは、おばあちゃんが「お大事に」と声をかけてくれた。
こんな何気ない優しい気持ちが、ほとけ様のこころ持ちなのかもしれない。
ほんの数年の間、月に一度少しの時間を共有しただけなのだが、寂しい気持ちである。
おやすみなさい。
一人暮らしの老人で、足は悪かったが「内蔵は何ともない」が自慢で口癖だった。
3ヶ月前から連絡が取れなくなり、きっと入院されたんだろうとは思っていたが、なくなるとは思っていなかったのでショックだった。
毎月のお参りを欠かさないおばあちゃんは、お参りに行っても息子や孫の自慢話しや、何処そこへおいしい食事を食べに行ったけれど、とても美味しかったのであなたも行きなさい、とアドバイスをくれたりして。特に仏教に熱心なそぶりは見せなかった。
しかし、食事の話しをするのも、私が一人暮らしだからそれを心配して行ってくれていたのを知っていた。
足が痛いくて、生活に不自由しているのにほとんど愚痴を言わず、
「こうやってなんとか元気で生活させてもらっておるのを、喜ばんならん」
と自分を励ましておいででした。
そんなおばあちゃんに、私のほうからも仏教の話しをした事はなかった。
(もともと、苦手なのですが。そういう事でもなくて)
私は以前、自分が入院した経験から、病気の話しを聞いてもらう事(心配してもらう事とも微妙に違うのですが)を病気を抱えている人は好むと知っていたので、毎月かならず(私は医者でもないのに)足の容態を聞いて、帰る間際には「おばあちゃんお大事に」と言って帰っていた。
私が風邪などで喉を痛めているときは、おばあちゃんが「お大事に」と声をかけてくれた。
こんな何気ない優しい気持ちが、ほとけ様のこころ持ちなのかもしれない。
ほんの数年の間、月に一度少しの時間を共有しただけなのだが、寂しい気持ちである。
おやすみなさい。
コメント