東北へ4 続 宮沢賢治博物館 「雨ニモマケズ」
「雨ニモマケズ」

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち

慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず

野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば
行って看病してやり

西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず

そういうものに
わたしは
なりたい

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宮沢賢治

宮沢賢治は子供の頃大変過保護に育てられ、また泣き虫だったという。
最後には無理な農作業などで体を壊し、肺結核で亡くなっている。

そして、賢治の詩や童話が世に認められたのは、亡くなってからずっと後の事であって、37歳で亡くなるまで苦労しっぱなしである。

私は賢治が農業にいそしんでいた事は知っていたし、写真を見てもとっても丈夫そうな印象を受けていたので体が弱かったというのは意外でした。

そう知って、もう一度「雨ニモマケズ」の詩を読むと、この詩は賢治の理想の表明ではなくて、詩の内容とは真反対に生きるしかない自分自身との葛藤から噴出した祈りの言葉のように思える。

「こうあったらいいのにな」という理想の人間を描いたのではなく、「そういうもの」の心を既に持っている何者かを褒めたたえた讃歌なのだ。

「雨ニモマケズ」は実際は一滴の雨にさえ翻弄されて負けてしまう丸裸の賢治が、自分とはまったく反対のやさしい気持ちに触れた時の詩なのだと感じる。

仏教に傾倒した宮沢賢治にとっては「雨ニモマケズ」に出てくる「そういうもの」とは仏様の事である。だからこの詩を読む人は「頑張って立派な人間になります」という思いになるのではなくて、優しい人に包まれるような気持ちになって心が温かくなるのは、そんなところから来ているのではないだろうか。

ちなみに「一日4合の玄米は多い」と思った事ありませんか?
私も一日4合食べるのは無理です。博物館の中でもそんな事を友人と話していました。

でも考えてみると、玄米の他には一汁一菜だし、今の私たちのようにおやつタイムとか、ちょっとジュースを飲むとか、無いでしょうし。そして今よりももっと激しい農作業をしている事を鑑みると4合の玄米でも遠慮しつつ書いたのかも、なんて思います。


岩手の椀子そば美味かったです。36杯たべました。
2.5人前くらいの分量らしいです。年なんで無理はしませんでした(^^;)

お勧めのサイト「松岡正剛の千夜千冊」 (宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の書評)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0900.html
大変詳しく書いてあります。

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