さみしいから?

2004年11月26日 お仕事
先日、お参りに行った家に着いたのはいいけれど、駐車する場所がない。
困って近場を探していたら、バックミラーに見た事のある人を発見。

それは、以前にお寺の事務所で働いているAさんではないか!?
私は思わず車を止めて、挨拶すると
「ああ、しゅうくんか。変な車がとろとろ走ってると思ったら」
とのご挨拶である。
私の車の後ろ側には、致命的な傷がアリ、しかも修理代惜しさのため、それを自分で不器用に直しているものだから、見る人はみんないぶかしく思うのだ。
デッカいガムを貼付けたような感じである。

しかしAさんは親切にも近くの自分が契約している駐車場に案内してくれた。
ちょうど奥さんと車でお出かけの所だったからよかった。

Aさんは落としに似合わず、おしゃれでダンディーな人だ。年齢からいうおじいちゃんなのだが、そんなところを感じさせない。
しかも、愛妻家。

以前私が「お嫁さん欲しいな〜」というと
「なんでや?」と尋ねられたので
「だって、さみしいし〜」
というと
「なっ! さみしいからか〜」と笑いながらだけれども、少し軽蔑を込めた感じで答えられたのを思い出す。

寂しさを紛らわすために彼女やお嫁さんを求めるのは本当の愛じゃないだろう。
という意味だと後で気づき、恥ずかしいとともに、Aさんの人柄にふれてうれしかった。だいたい、Aさんの時代はお見合いで、知らない間に親が決めていたということが多かったはずだ。
愛は年代を超えているのであった。

真横でお経

2004年11月22日 お仕事
今日も午前中は一気に8件、午後からは3件のお参りでした。こう書くとあまり対した事がないようだし、実際にもっとお参り件数が多いお寺さんもあるが。結構、肉体的に大変である。それとも、私の体が弱すぎるのか? 調子のいい日はこのくらい何でもないという日もたまにあるし。

今日、最後にお参りしたお宅のおばあちゃんは、聞法家で80を過ぎて腰も曲がっているが、とっても元気でお寺にお参りによくおいでになる方だ。

お勤めの途中、「なんまんだ〜」という間の手を入れるおばあちゃんはたまにいるが、「ナンマンダブツしかない!」と間の手を入れるのは、このおばあちゃんぐらいではないだろうか。
しかもそのおばあちゃん、普通一緒にお勤めをするときは、坊主(わたし)の後ろに座るのが普通だが、私の真横にしかも私の方を向いて座るのである。そして、その距離はかなり近い。なんだか照れる。お経中に鼻くそもほじれやしない。といった風である。
でも便利だと思ったのが、お経中おばあちゃんがどこを読んでいるのか見失ったとき、にすぐおばあちゃんのお経を指差して「ここのとこからね」そうこの「ごくじゅうあくにん ゆいしょうぶ〜からいくからね」とすぐ教えてあげる事が出来る事だ。
おかげでなかなかお経が終わらないが。

やっと終わったと思ったら、「あら、あんがとー もう一巻お経あげてくんまし」と『阿弥陀経』ついかの注文が・・・
そんで、
「あっ おばあちゃん ここの ごうがしゃしゅしょぶ からね」と続き、かなりアットホームな報恩講勤めであった。

グリコのおまけ

2004年11月21日 お仕事
今日も少し疲れが出たが、昨日よりは元気にお参りが出来た。しかし、どうも喉に痰が絡まってうまい事お経が出来ない。大きい声を出す事によって痰をきろうとするがうまくいかない、それでいつもよりよけい体力を使うので、快適にお勤めできたとはいいがたい。お昼からショウガ汁を摺って飲んだら少しは良くなった。

18日の日記に書いたお宅に7日参りのお勤めにいったら。急な死にさぞかし落ち込んでおいでになると思ったら。そうでもなく。
まあ、長く寝たきりになって死ぬよりいいだろう的な事を言った。
そしたら、親戚のおばちゃんが頷きながら、私ら60過ぎたら後の人生はおまけみたいなもんやと思って生きている。と言うと。そうやグリコのおまけみたいなもんやと旦那さんも笑いながら相づちを打った。

それもアリです。

特になし

2004年11月20日 お仕事
最近、お酒を飲む事も少なくして。柔軟や鉄アレイ運動、軽いランニングなどをして体調管理に気をつけている。おかげで体調は比較的いいのだが、今日はなんだか調子悪かった。

お経あげていても、足がしびれやすく、喉の調子もいまいち。おまけに眠いではないか、おかしいな〜 お酒も飲まず、早めに寝たのに〜 と首を傾げつつ体調悪い状態と戦いながらの御勤めは辛かった。

でも、お参りしていて、いろんなお宅で短いけれどもお話をする事が出来て楽しかった。明日もハードなスケジュール。今日もお酒抜きで運動もしたし、もっと早く寝て。明日も頑張るぞ〜 明日はどんな出会いがあるだろうか?楽しみである。

美人をゲット

2004年11月16日 お仕事
三日続いた飲みも今日はなく。お参りは大変だったものの、酔っぱらわずに日記を書いております。(#^.^#) 昨日の後、mは携帯が破壊されているので、連絡も取れず、また連絡もこない。心配ではあるが、今日になってみると、犬も食わない喧嘩に巻き込まれた感が強い。この年になってみっともない事である。

さて、現在年に一度の一番お参りの多い時節のおり、いろんなお宅にお邪魔するが、こんな人に出会った。

元気なお母さんで、37歳の旦那さんを突然死で亡くして10年。女手一つで子供を育て、長男17歳、次男13歳になる。
生前旦那は本当に優しく、会社の同僚のみならず、お掃除おばちゃんにもその人当たりの良さで、人気者だったそうだ。

「いまでも、旦那さんを愛してます」と屈託なく話す肝っ玉母さん。
壁には、結婚式の時キスよしている写真や、旅行のときの写真、子供達の元気な写真が沢山飾ってある。

私は、最近の自分の周りでおこっている出来事を、頭に浮かべながら。
「いや〜 今時珍しい!うらやましい!!」
と、答えるとうれしそうに笑った。

「子供を叱る時も、お父さんならどうするか?と自問しながら叱るのよ〜」
と、自分の胸を指差しながら続けて言うには。
「子供たちがわがまま言う時や、困っているときには、お父さんに聞きにいきなさい、とお墓に行かせたり、お内仏に座らせるんです。」
「全部お父さん中心。新聞もまずお父さん、ご飯も、お土産も、成績表も」「だから、姿は見えないけどお父さんは生きているの」とたくましい口調で言う。
「おかげで、子供たちも元気に成長してそれに支えられてここまで来ました」
と、先日日記にも書いたが、同じく早く旦那さんを亡くしたお母さんと同じ事をおっしゃる。

「(いまでも旦那を愛している)おかげで、道を踏み外さなかったしね・・・ふふふ」と、意味深なことを言う。
きっと旦那さんをなくした後、モテ期が何度か訪れたという事だろうか?

「いや〜 何よりです」と答えると。笑いながら
「ところで、あなたは結婚してるの?」と痛い質問が。
「残念ながら、してません」
「今何歳?」
「旦那さんが亡くなった時の年齢です。37になります」「小松美人をゲットしたいのですがナカナカ・・・」
「あら、あなたいい顔しているのに〜 相手がいないの?おかしいね」
「ええ、本当に。納得いきませんっ」と冗談っぽく言い返すと。
笑いながら「早くゲットしなさい、やれば出来る!」
と、カツを入れてくれました。

帰り際に「励ましありがとうございます、やる気が出てきました頑張ります」と言うと、「運頑張って、ありがとう」との返事。

世間一般から見れば、働き盛りの旦那を亡くて、大変な苦労をしてきて、現在も大変なのだが、それを乗り越えて来ている、肝っ玉お母さんに苦労の陰は微塵もない。
逆に人を励ますパワーに触れ元気エネルギーを頂きました。
LOVE
(じごくいちじょうと おもうてみれば じごくごくらく ようじなし)

今日お参りに行った家は、時計屋さんでした。いつも行く歯医者さんの隣だったので、「ああ、ここもご門徒さんだったのか」、と思いつつ店内に入ると、高級そうな時計や、宝石が店内に散りばめるようにして展示してあった。

圧倒されつつ、奥に進むと一番奥のショーケースに女王さまが頭につける王冠みたいなのがさり気なく置いてあって、その隣に栗のようにデッカい真珠?があった。
ドアを開けてすぐの階段階段をあがると、ゴージャスな大きなのっぽの古時計がゆっくり時を刻んでいた。

「お金持ちの家だ」、飾ってある調度品を見るたびにその言葉しか出ない。

一緒に御勤めをすました後。お寺の法語カレンダーを差し上げたら。おじいちゃんが言うには、
「私の母は妙好人と暁烏敏に認められた人なんです。うちの母の句がこの法語カレンダーに載った事があるのですよ」
と話してくれた。

その句が今日のタイトルなのです。

地獄行きの身であると、はっきりすれば、地獄に行くのが怖いと恐れたり、極楽に行きたいという欲望に振り回される必要が無くなる。これが浄土のお念仏の教えである。
という意味です。

わたしは、妙好人の名前は、森ひな と言います。まさか、この方の子孫のお宅へお参りする事になるとは、びっくりでした。ありがたいご縁を頂きました。

二ヶ月の命

2004年11月7日 お仕事
今、枕勤めから帰ってきました。(人が亡くなって、始めて御勤めする事)
なんと、生まれて2ヶ月程の赤ちゃんの死でした。

母親は20歳程、でも泣いていません、これは珍しい事です、家の他の人も泣いていません、淡々としています。

お経が終わった後、御文をあげ振り返ると、母親は涙を流していましたが。狂ったようなそんな風でもありませんでした。

普段私は死亡の原因を聞かないのですが、今日は家族皆が落ち着いた様子だったので、聞いてみると、生まれながらに心臓が反対の右側についていたのが原因だったとのこと。 母親や家族の落ち着き方は、長く生きる事が出来ないという覚悟が前もってあったからなのでしょう。

死因の欄には「心不全」とある。
あまりにも短い、あっという間の人生。仏教では命は短命でも、長寿でもともに尊い命であると教えられています。
「死に善悪なし」
いい死に方、悪い死に方。いい生き方、悪い生き方。私たちはすぐにそのように、自分自身や人の命を評価したり、天秤にかけたりしますが。
本来の私たちに与えられた命は、私たちの小さな了見ではかる事が出来ない程、尊いと教えてくれます。

亡くなった赤ちゃんは子供用の布団に横たわって、静かに目を閉じていました。可愛らしい男の子でした。

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