今日も飲み会だった。200名近くの人がつまり、楽しくはあったが、職場での大きな飲み会だったので、少々気づかれ。
接待する側でしたからね。しかも二連ちゃんはやはり辛かった〜

でも、昨晩ご一緒した方や、飲み屋で意気投合した人などに会い、なんか飲みつながりの人との出会いにビックリ。
う〜ん、飲むのも度を超さなければいい人間関係を作る機会になります。
つまらない、けんかの種にもなりますけどね。

酒好きの言い訳かな?

明日は法話をする日なので今から予習です。
イメージトレーニング(^^)
これ結構大事。
土いじり、子供の頃は親に諭され
老人になると諭す親もなし
存分に土花と戯れる
----------------------------
今日は、大変酔っぱらいました。
人と人との出会いが沢山あって。嬉しかった。

それ以外にも、嫌な雰囲気の中で、苦手な法話をしたら。
その後、いろんな質問をされて嬉しかったよ。

坊主が法事の後に、一生懸命お話をすると、
その法話の巧いとか下手だとかは抜きにして
一生懸命さが伝わる事を知った。

それは、本当の事だ。

でも、そのことは坊主の説教だけの話ではなく。
どんな職業にも当てはまる事だと思った。

一生懸命なんて自分の力で出来る事じゃない。それが大事、

うまく言えないけれど、一生懸命の心は
人が与えてくれるものだ。

沢山の人とであってみたい。
そして、その中で一人に出会えればいい。

今日は、そんなたった一人の人に沢山出会えたよ。

オヤスミナサイ。
またあしたね。

そんな事が言える、すてきな日でした。
ありがとう〜

酔っぱらってます〜
明日も頑張るぞ!!!
昨晩は、日記を書いていたら夜遅くにお誘いの電話があり、直行〜 最近一人では飲みにでない事にしており、意志が弱いにも関わらず続いている。
その反動か、お誘いがあれば飛んでいきます。
実は今もお誘いの電話が鳴ったのですが、残念ながら明日は早いので断念!
残念!
こちらの町では有名だったバーのマスターが、修行から帰って来たのだ。

-ここから、昨日の続きです-

仏間に通されてみると芍薬(しゃくやく)の花があるではないか。

見た私は、敏感に反応した。
それには、訳がある。

ある門徒さんが、お寺に素晴らしいきれいな花を持って来て下さったのである。
普段あまりは何興味のない私たちだが、そのあまりの美しさに、「なんて名前だろう?」と議論になったのだが、最初は牡丹と言う事でおさまっていた。
しかし、後でそれは芍薬である事が判明。さらに、牡丹と芍薬は大変似ているという事もわかった。(調べてみると同じ牡丹科ですね )
http://www.hana300.com/syakuy.html

それは美しい花で、日の光を受けると花が自ら発光している如く輝いているのである。
よく、美人を表現する言葉に「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と言うが、それも納得である。

そういう知識を得てみると、お参りに行く先々で、玄関の庭先や床の間に生けてある花々に目がいくようになるもんである。芍薬らしき花があると、
「これ、牡丹ですか?芍薬ですか?」などと、知ったばかりの花の名前を言うと、家人との話の種にもなって。話題にも花が咲く事を知った。

そんな訳で、仏間の花を見ると早速、おばあちゃんに質問してみた。

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花って言いますよね。
言われた事あります?」

ほんの一瞬の静けさが・・・
ちょっと毒舌すぎたかな?と思ったのつかの間

娘さんが
「まった、答えにくいことを言って〜」と笑う
すると。
東京から来たおばあちゃんが
「歩く姿は豚のケツって言われた事はあってもね。」
としらっと言い放った。

つっこまれても痛快なおばあちゃん達。
このお宅にお参りに行くのは、毎月の楽しみである。

おわり
毎月、命日のお参りに行っているTさんというおばあちゃんのお宅は、尾小屋という町にある。すぐ隣にスキー場があるほどの山奥だが、スキー客誘致のため道路は整備されており、信号の多い町中を走るより、かえって早く着いたりする。

元気なおばあちゃんが一人暮らしだが(一人暮らしお宅は多い)、毎月嫁に行った娘さんもおいでになる。
これまたとっても元気な人で、歯に衣を着せぬ言動が面白い。

 この親子だけでも会話のキャッチボールが面白いのだが、この日は年に何度か尾小屋に帰ってくる、東京のおばあさんが加わった。かしましいというか、こうなるとさらに会話に弾みがつく。
この町はインターネットも開通していない山奥なのだが、私も知らない小松のお寺事情や、うわさ話、昔の尾小屋の話などが出てきて、ネットサーフィンより断然面白いレア情報がまんさいである。

玄関に入るなりに、娘さんがマジマジと私の顔を覗き込みながら、
「お坊さん、先日魚屋さんのおばあちゃんの通夜に出とったやろ?」
「ええ」

「やっぱし、通夜と葬儀両方出とったやろ?」
「・・・はい」

「そうか、なんか ○○さん、葬式の時の方がえろう若う見えたわ〜」
「はあ?」
(一同爆笑)

すかさず、東京のおばあさんが
「あんた、それは違う。周りのお坊さんが年寄りばっかりやし、若う見えただけや、あっはははは〜」

間髪入れず、おばあちゃんが
「あんた、それが(坊さんが)来るなり言う事か。失礼な」と言うが
あまり失礼とは思っていない様子で笑っている。

娘さんは、それでも首を傾げながら、穴があくほど私の顔を見ている。
まだ、いつもの私と葬儀であった私とが同一人物か確かめているようである。

以上、玄関から上がって二三歩歩く間に瞬く間にかわされた、会話である。
機関銃で打たれた衝撃ってこんなんだろうか?

玄関でひと笑いあった後、

仏間に通されてみると芍薬(しゃくやく)の花があるではないか。

つづく
先々日と昨晩二夜、映画を見てきた。ザ・インタープリターとミリオンダラー・ベイビー やはり映画は映画館ですね〜(^^) 久しぶりに夜のお参りがなかったので、大好きな映画三昧。

さて、国立博物館を出て、上野の近くの牛丼屋でお昼を食べた後、いざ帰途へ。少々後ろ髪を引かれながら、東京を発つ。

途中インターで休憩を取りながら、帰途についたのは5時前、
はや〜い!

そんなこんなで、この旅行記はあっさりおわりである。

その後、実家の母親と話す機会があり、日帰り旅行の話をした。
すると、
「あんたが中学に入学した年に上野の国立科学博物館に行ったね」
と言うのである。
そういわれても、まったく記憶になかった。
「二泊三日で東京に行ったんじゃけど、あんたは二日目も見たいと言い張って、一人で恐竜展に行ったんよ」

「 へ〜 」と、力ない返事をした。

そこまで説明されても、やはり全然思い出せなかったのである。
「甲斐のない子じゃね〜」と母。

「そういえば、東京に行ったのは覚えとるよ」
「でも、東京のおばちゃんと三人でどこかの洋服屋さんに連れて行かれたのと、そのあとおいしい料理屋に連れて行ってもらったのを覚えとる」
たしか東京のHおばちゃんが、「ここの店長は絶対このフランスパンをどこのパン屋から仕入れているかを教えてくれないのよ」と愚痴っていたのを覚えている。
「洋食屋ではおいしいフランスパンの出所は絶対秘密なのよ」
フランスパンの出所が知りたいというよりも、そんな事情を愚痴れる自分がうれしいという感じである。
母は続けて、その日はプリンスホテルに泊まって、三人で寝たんよ。一つは移動式ベッドであんたがそれで寝るはずだったのに、ふかふかのベッドで自分が寝たいと言うもんで、私がそっちで寝たのを覚えていないの?

さらに、
「お昼には、そのホテルでクレープを食べたんよ、それが、フルーツがたくさん入っていて、すごくおいしかったんよ。」「あの当時、初めて見るデザートで、コックさんが目の前で薄くクレープを焼くのを見てあんたビックリしてたでしょう」
「でも、わたしはその値段にビックリしたわ。3,000円もしたのよ。うっひゃ〜」

なんじゃそりゃ。でも、確かにうっひゃ〜である。

しかし、そう言われてみると、だんだんそのような気がしてきた。しかし
子供の頃、心をときめかせて恐竜の化石に見入っていたハズの記憶は全く思い起こされてこず、そんな、ある意味どうでもいい記憶しか思い出せない今の自分が、なにか、よその人のように感じられてきて、少し寂しくなってきた。

国立科学博物館へは、駐車場を降りて塀沿いに正面入り口まで歩いていくのだが、途中にペンシル型のロケットが空へ向かっていつでも発射OKと立っていた。
それを見たとき、初めて見たのではないという思いがよぎった、ような気がする。

あるいはそう思いたい気持ちが、今になってそう言わせてるのかもしれない。

子供の頃好きだった恐竜は、ステゴザウルスとチラノザウルス、あと空飛んでるやつ。だった。

恐竜展入り口には、子供ずれの親や中学生、小学生が、高ぶる気持ちを抑えられない面持ちでたくさん並んでいた。

並ぶ位置がわからない中学生が不安そうに係員に話しかけていた。

その列の中に、あの頃の自分も確かに居たのである。

おわり

恐竜展4

2005年6月1日 旅行
昨日風邪を引いてしまった。しかも昼の3時頃に急激に風邪の症状が出て、自分でも何故かわからない。串のお医者さんに見てもらい、薬をもらった。

大変辛かったが、晩は同僚の試験合格祝いだったので、ニンニクをたっぷり付けて焼き肉を食べた。
二次会はキャンセルして、早めに寝たので次の日はほぼなおったようだが、万全を期して、ゆっくりさせてもらっている。

さて、恐竜展への旅日記も4回目を迎えました。
書いているうちに自分でも忘れていましたが。上野の国立博物館には。恐竜展を見に行ったのではなく。ボタニカルフォトを見に行ったのである。
では、なぜ題名が「恐竜展」なのか? それは最後にわかるはずです。

さて、紆余曲しながら上野の国立博物館に到着、しかし早くつきすぎて大分待つ事になる。待っている間にどんどん人が増える。すべて恐竜展が目当ての人ばかりで、その人たちは並ぶ場世も違う。ちゃんと、チケットを持っている人、まだ購入していない人の列と。到着したばかりの時は閑散としていた入り口が活気を増してくる。そのうち、おそらくこの上野の公園がショートカットになるのだろう、通勤のサラリーマンらしき人や自転車に乗った学生、朝の犬の散歩をする人など。人が湧いてくる如く増えてくる。

そうこうしている内に入館の時間だ。入ったなり、自分の中の子供心が蘇ってきた。恐竜展は別料金だし、見ている時間もないので最初から見る予定ではなく、わたしも恐竜をどうしても見てみたいという強い気持ちはなかった。「どうせ骨でしょ」という感じだった。

しかし、目当てのボタニカルフォトへは一階の常設展を通るようになっており、その展示が素晴らしいのである。自分の中で眠っていた、冒険心、探究心がそそられてくる。地球上に生きている、様々な生物達、その大きな骨格から放たれる、とてつもなく大きな生き物の息吹。剥製の動物たちが私たちをぐるりと取り囲んでいる。
同じような微生物が詳細に分類されている様に圧倒される。

それは、私の中に昔はあった、世の中へ対する興味をかき起こした。
ず〜とここに居たい!恐竜展みた〜い。子供だったら、地団駄踏んでいたかもしれない。

宮さんのボタニカルフォトは素晴らしかった。
それを見終わった後、時間は2時間ほどあったはずだが、目的の展示を見た住職たちはすでに外で待っているとの事。

しょうがない

「宝の山を目の前にして、むなしく手をからにして帰る」という蓮如上人の言葉があるが、日帰り旅行ゆえしょうがないのである。

常設展も一階部分しか見る事が出来ず、帰途についた。

恐竜展3

2005年5月31日 旅行
ナビはあるし高速を使ったので、当然迷う事無く東京へ。しかし高速をおりてから上野までの道のりで、何度も迷った。
ナビが迷うのである。標識があるのでその通り行けばいいのだが、ナビを信じてしまったり、車線変更に間に合わなかったりで、散々だった。

迷い始めは、降りてはいけないところでおりてしまい、新宿中央公園そして都庁前、しかも片側5車線の大通りになれていない田舎者の私は、交差点で間違って、反対車線に侵入!助手席の方が驚いて注意してくれたので、咄嗟に横断歩道をくぐり抜ける形で、本来の道へ。
都庁前で恐るべし交通違反!石原都知事に怒られるところでした(^^;)

さあ、気を取り直して上野への環状線へ戻ろうとしたら、いい感じで酔っぱらっている後ろの座席の方が、「わし、今度は東京タワーを見たい」なんて、冗談でやじる。

戻る途中、なんと左手に東京タワーが出現、ワゴン車が盛り上がる。
「これは、はとバスか〜?」
「しゅうちゃん、迷うふりしてわざと観光案内してるの〜」
「ああ、これ見たらもう北陸に帰れるわ〜」とありがたそうに手を合わせる人。
「お母ちゃん、あれが東京タワーやでー」
と、はやし立てられる。

気を取り直して上野へ。が、アレ?テレビで見た風景が???
何故か「踊る大走査線」のテーマが頭の中で再生をはじめる。

レインボーブリッッジに突入!!!
大観覧車が見えて、橋を渡ると(もう渡るしかない)目の前にフジテレビが!
また、親父ワゴン車が盛り上がる。
「しゅうちゃん、やってくれるね。もうさすがに東京見物はないと思ってたのに」
と、またも野次が飛ぶ。
後は、近づいてくるフジテレビの品定めが始まる。
「テレビて見るのより、汚いな」とか「思ったより小さい」「裏側は普通」など言いたい放題である。しまいには
「お!堀江モンが、歩いとる!」(笑)

渡りきって、元に戻るためにまた橋を渡り直す事に、大きくUターンのコースをとる。するとモノレールの軌道が道なりに走っているのが目に入り。

「わし、モノレールが走っとるのを見たい」
と、言ったとたん、後ろからモノレールが出現!親父ワゴン車を追い抜かしていく、しかも、追い抜いたタイミングがちょうど我々の進行方向の道路を交差する形だったので、これにも車内は盛り上がった。

結局上野に到着したのは、8時頃だったと思う。東京に着いたのが6時頃だったのに・・・。

夜のドライブを経て、朝である。
しかし、親父loveワゴンは元気いっぱいである!
なぜか途中で切れてしまうので、第二弾に分けて書きます。

さて、それでは東京上野へシュッパーッツ! と出発したのは真夜中の12時。
それはなぜか?
職業柄、夜のお勤めが終わって、翌日の夜までに帰ってくる必要があるためだ。
お通夜や、枕勤めが入ったとしても、夜中の12時に出て、朝市で博物館入り、
お昼過ぎには、東京を発ち夕方に戻ってくれば、もし何かがあっても間に合う。
という段取りである。

さて、私が出発時刻についた時には、既に全員そろっていた。
みんな酔っぱらって!!
正確には3人シラフがいたが。
自分がシラフだとこんなに酔っぱらいが臭い〜とは。
車の中にいたたまれない。

でっかいワゴン車で出発、早速酒盛りが始まった。
トホホ。酒好きの私は運転する事になっているのでもちろん飲めない。

高速に乗り、途中交代しながら順調に東京まで進む。
カーナビ付きのワゴン車は酒盛りでもりあがり。わたしも運転しながら、この妙な旅行に奇妙な興奮を覚えてきた。

完全に学生ののり。そしてワゴン車のなかはみな中年以上の酒と駄馬このにおいをさせ、親父ギャグで盛り上がる。

親父ワゴンの旅
ゆけ!おやじ☆loveワゴンの旅!

恐竜展・ガオ〜

2005年5月27日 旅行
先月、上野の国立博物館に行った。車で。しかも日帰りで!かなりハードでした。
ちょうど恐竜展http://www.kahaku.go.jp/dinosaur2005/index.htmlが開催されていたが、目的はそれではなかった。

ボタニカル・フォトhttp://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2005/b_photo/を見に行く事が目当てなのである。

実はこのボタニカルフォトとは新しいジャンルの写真で、それを開発したのが、我らのお寺のご門徒さんなのである。国立博物館で展示される事はそれはもう、大変な名誉な事なのである。エッヘン(^

お仏壇

2005年5月22日 お仕事
昨日久しぶりに飲んだら、調子に乗って飲み過ぎて、今日は辛かった。最近体調がいいので、いつもの飲み過ぎより楽で、お仕事には支障がなかったけれど。それでも反省〜(^^;)
今日、小菅波という町にお参りに行きました。
そこでビックリしたのはある家のお仏壇が手作りだったのだ!
思わず携帯で写真とりました。
http://photos.yahoo.co.jp/shuibbjp

お話を聞くと、亡きお父さんの手によるものでした。
結婚した時にプレゼントしてくれたものだそうです。

お仏壇を?お祝いに?
と思う人もいるかもしれませんが、家を構えたら家族で手を合わせる場所を持つ事の大切さを知っていたお父さんなのでしょう。

「本当は買ってあげたかったと思うんですが」
と家の方は話していましたが、表情はどことなく誇らしげでした。
お父さんの気持ちがこもっているお仏壇は、ほかには比べ物にならない素晴らしい贈り物だと思いました。
病に抵抗する力を失い、身を横たえていると、そのうちそれが心地よくなる。
長くつきあっていると、、病に身をゆだねる心地よさを知る。
しかし、それは傲慢な思い違いで、それをあざ笑うかのように、病は降参した私を「降参なんて嘘だろう」と迎え入れてくれずに、また違った苦しみを与える。

病は女心のように全てをゆだねようとする私から身をかわす。
それを繰り返しているうちに、阿吽の呼吸で降伏と戦いの繰り返しに少々慣れてきて、シーツから布団、布団から着慣れたシャツのように、その苦しみが日常になってゆく。

脱いだり着たり、着たり脱いだり。

病から回復して行く時、そんな病と決別するのがなんだか寂しくて、もう着れなくなった服を捨てる時の気持ちに似ている。透明になった精神がけがされるような気持ちが疎ましい。

健康と言う名の病に侵されてゆくような気持ちもしたりして、さみしい。

その立場になってみないと、本当の気持ちはわからないよ、というけれども。本音は理解してもらいたいのではなく、理解する努力を望んでいるのだろう。

慈悲というのは、分かり合う事ではなく、分かり合いたいのに分かり合いたくもないという、相反した人間の悲しみを共有する事なのだ。

悲しみの共有が慈悲である。それは誰のものでもないから。
お情けはいらないぜ(^^)

八方塞がり

2005年3月25日 日常
先日、お寺の前の神社を通りかかったら、その看板に大きく
八方塞がり除難祭受付中と書いてあった。

さらにその横に「今年の八方塞がりは」と続き、まるで受験結果の発表よろしく、大正から平成までの当たり年をズラリと書き並べてありました。
私は思わず心の中で叫んだ

”やったよ、母さん受かったよ!”

昭和42年、見事に当確である。なんだか恥ずかしい当選発表である、というより、これは赤点の発表に近いか?看板の周りも赤く塗られているし。

だけど私、八方塞がり的な人生はなにも今年に限ったことではないので、
違った意味で心外である。などと思いながらしばらく看板を苦笑いしながら見つめていました。

そんなことを友人に話したら「まあ、人生には何年かに何度か大変なことがあったり、大病をすることがあるので、気をつけなさいという意味で厄年とかあるのでしょう」と言ってくれました。

きっと私がその看板をとっても気にしてると思ったので”気にすることないよ”との意味をこめて慰めてくれたのでしょう。ほんとやさしい奴である。

ちなみにこの神社には左の写真のように、交通安全のお払いもしているのだが、何年か前に自動車がこの看板に突っ込んで来た事故があり。
その時はさすがに笑えなかった。(運転者は無事でした)
私が買ったコタツは、大きなこたつで、一人暮らしの私には大きすぎるのだが、しかしかえってそのドンとした趣きに惹かれて買った。
83,000円→特価24,600円と表示してあり。現品特価!と小さく書かれている。さらに、吉野の天然木を使用とまで。←こういうのに弱い。
ちなみに、このページの写真のとは違って、もっとシンプルでセンスのいい
コタツである(エッヘン)足もしっかりしてるし、これなら足が折れる事もないだろう。

前のは足が折れている。以前珍しく女の子が遊びにきてくれたとき(しかも食事を作ってくれた!)いざ出来上がったキムチ鍋をテーブルに載せる時に。
「気をつけて!そっちに置くと倒れるから!」
と言ったら。寛容なその人も、さすがに少し引いていた。

そうだよね〜学生時代ならともかく、わしゃ何歳や〜(;_;)/~~~ とちょっとだけ反省した。(ちょっとだけだが)
それから、もう一年ほどそのまま使っていた。よくお笑い番組を見ている時など、受けてウッカリばんばんと天板を叩くと、コタツがこけた。私も一緒にこけた。つっこむ人が誰もいないと恥ずかしさ二倍である。(実はまだ部屋にある)

おNEWのこたつ。部屋で組み立ててみるとやはり大きくて、それは想像以上にでかかった。私一人がその天板の上で寝れる。と言えば大げさであるが、縦に寝ればそのまま布団になる。こたつむりなんていって、かわいく足を丸める必要もない。

吉野には桜を見に行った事があった。
大学時代の友人とその彼女と。吉野の桜は桃源郷のようにきれいだった。
そこで食べた、弁当もうまかった。
途中寄った、平等院の八頭身の1/1モデルの地蔵菩薩は普段イメージしているお地蔵さんとのギャップがあり過ぎ、こわかった。

そんな昔の懐かしい記憶にも背中を押されたのだろうか。その現品特価のでっかいこたつにひかれて、結局三月初旬に買った。製品に惚れて買ったのは前のipodと同じく久しぶりである。

はやく人間にホレタ〜イ(byベム)

今こうやって部屋にある、でっかいこたつを眺めていると、子供の頃、こたつの中で「足!出し過ぎ!」などと陣取り合戦をしていた事などを思い出したりする。
なかでおならでもしようものなら、家庭内はレベル5の大騒動である。
「こら!こっちの布団をあけない!」凸(▼。▼)/~~~

独り身でこんな事を書いているとちょっと、さみしいような気持ちにもなる?
が、不思議と分相応なものを買ったほうがよかったなどとセンチな気持ちが起きる事もなく、ながめる度に入るたびに「いい買い物をした」という、幸せな気持ちになって、どっしりとした天板にスリスリしている。

はやく彼女にスリスリした〜い(by ベロ)
http://www.waw.ne.jp/bemu/main.html 

※ 買ったでっかいこたつの画像はこのページの製品15番です
http://yamakiyo.shoukoukai.net/shohin/s-kota3b.htm

LOVE
本職の?方は体調がいい事もあり、比較的順調に進んでいますが、肝心のーLOVEーの方は相変わらずの しゅうです。

そう言えば、最近でっかいコタツを買いました。友人が火鉢を買ったのに触発されたのでしょうか?
100万ボルトにパソコンを買いに行った時の事である。
門徒さんにかねてから、「コンピューターを買うなら僕に相談して下さい」
と言っていたのだが、それが実現したのだ。

マックが好きな私は当然マックを勧めたのだが、
「近くでコンピューター講座があるので、そこに通うからノートタイプがいい」
との一言で断念した。
地域のパソコン講座でマックの指導をしてくれる先生は、まず皆無(T_T)

そういう私も、お寺でパソコンを導入するとき、「マックにしよう〜」と言ったが、なにそれ?って感じで取り合ってくれなかった。

しかし、ウィンドウズを買ってみる、とだ〜れも使えないのですよ!?
コンピュータ=ウィンドウズという図式が、全くコンピューターを知らない人の頭の中にインプットされているのです。そりゃ世界のシェアーが90%を超えてるのですから、無理もないですが。

最近、iPodの影響でマックユーザーが増えているとの事ですが。それでもシェアーは5%位です(世界で)

ちなみに、昨年から職場に念願のpower mac G5 1.8Dual を導入する事が叶い、快適にホームページの更新を行っております。たまにその様子を見る後輩たちが「凄いですねー」とは言うものの、「次回はマックを買う!」と言わす所までには至りません。

まあ、わたしも最初の頃は猛烈に「マックにしろ〜」と言ってましたが、最近はそう言う気持ちも無くなりました。
ウィンドウズもXPになってから大分使いやすくなりましたし、職場に両方あると、使い方も覚える事が出来るというメリットがあります。来年アップデートするXPの次期バージョン「ロングホーン」も楽しみにしてます。

話しはググッとそれましたが、今日3月14日はホワイトデーなのです。こんな慢性LOVE不足の私にでも、お返しする人があるのです。

で、お返ししたのが写真のiPodなのです。背面に好きな言葉を彫り込める特典がついているので。早めに買って贈りました。掘った言葉は
ヒ・ミ・ツ(#^_^#)

しかも、彼女が好きな曲(ケミストリーのアルバム全部<限定品を除く>)をあらかじめ入れて。

どうですか?みなさん。いいアイデアでしょう!?

今回贈った女性は、たんなる友達なのですが 
これが、彼女に出来たらな〜 って心底思いました。

ちなみに「感激した〜 ありがと〜 \(^O^)/」の電話が

今この時刻になっても ないとです(T^T)

別に〜
お礼を言ってほしい〜
訳じゃ〜
ないけどね〜
スネスネ
さて、二つ目の回答です。

この回答は私もそう思ったものです。
ちょっと照れちゃう回答ですが、生命の営みを表現したものです。

<バージョン2>
なかなか、難しいお話です。
う〜ん、まったく見当もつきませぬ?
住職もわからないのでしょうか?

私の場合は、すぐに、あっちの方向に考えてしまうのですが・・・。
(^^;;
「ちいさな命である精子が、生死をかけて進んで行き、たどり着いたて、やっと一つ
の命になる。これも勢至の功徳である。だから大切に育てなさい」ということを言っ
ているのかと考えましたが・・・。
以上

どうです?
勢至の功徳を「精子の功徳」または「生死の功徳」にかけている訳です。
山川を人生の山あり谷ありそこを命がけで進み卵子と結合し、尊い命が育まれた。
(奇跡のようなできごとである)そんな子供を大事にしなさい。という意味ですね

<私の場合ーバージョン3ー>
山・川を父と母の喩えと取り、さらにそれが一つになるという意味で、
山を男性器、女性器を川に喩えたのでは?とまで想像しました。
山と川は物質としては異質なものであるが、山に川は流れ、川は山の恵みを含んで
海に流れ出る。性質は土と水であり、全く別のもであるが。一つになって、尊い命を育むものである。
というニュアンスを受け取りました。

そのあとは、<バージョン2>の方と同じく、勢至を精子にかけている。と思いました。ただし、生死という発想は全くなかったので、そこには感銘を受けました。

みなさんはどう思いましたか?

<結論>

私の場合、この子供を授かった時の歌は
表と裏の意味が意図的に込められているのではないかと思うのです。

つまり、仏法に触れて命の尊さに目覚めよ(またはそんな子供になってほしい)
という意味と、
お祝いの席で、すこし艶っぽいシャレとも取れる意味の二つです。

そうだとすると、このお坊さん一休さんばりのトンチの効いた名僧だったのかもしれませんね。
私の質問に答えてくれた方がいました。
ネットの力のスゴさを実感しました。

まずはある女性から、ちなみにこの方は、坊主ではありません。

『どんな所であっても、智恵を授けて極楽へと導きます』ってことかなー?
要するに、『智恵をもって生きていけますように!迷ったとしても必ず勢至菩薩が助けてくださるでしょう』という願いですか!
後、午年生まれの守り本尊らしいけど、その娘さんって午年生まれだったのかも?

関係ないかもしれないが、山、川についても調べてみた。下のほう参照。

------とりあえず----
勢至菩薩について調べてみた。めちゃパワフルな菩薩のようである!&派手ですな?
ただ歩くだけでスゴイ下のほうにある悪魔の宮殿をも揺すぶる程のパワーだとか?

http://www.icho.gr.jp/siryo/oushajo/ou-13.htm 他 より抜粋。
智慧(ちえ)の光で生きとし生けるものを照らして地獄、餓鬼、畜生の三悪道(さんまくどう)から離れさせ、無上の力を得させる。
 
 この菩薩の冠には五百の宝石の華が散りばめられ、一つひとつの華に更に五百の宝石の台がついている。その一つひとつの台の中に十方の仏たちの清らかで広々とした
仏国土(ぶっこくど)が現れている。

 この菩薩が歩くと十方の世界が震動し、その震動する所に五百億の宝石の華が咲く。その一つひとつの花は荘厳(しょうごん)で極楽世界そのままである。
 また、この菩薩が座ると七宝(しっぽう)の国土が揺れ動き、下方の金光仏(こんこうぶつ)の国土から上方の光明(こうみょう)王仏の国土まで一時(いっとき)に震動する。その中ほどに塵の数のように限りない無量仏、観世音菩薩、大勢至(せいし)菩薩の分身が極楽国に雲のように集い、空中を埋め尽くすほどに列をなし、各々蓮華の台座に座って苦しむ衆生を救おうと説法している。
 この菩薩を観る人は永劫(ようごう)にわたって生死(しょうじ)の迷いから解き放たれ、諸仏の浄土に遊ぶ。
-----山-----
山の頂上へ、阿弥陀如来の来迎があるという信仰が日本にはある。山の彼方から阿弥陀如来と観音・勢至菩薩の三尊が、上半身をあらわして、行者を来迎する。
------川------
三途というのは三途の川と一般にいわれていますが、火途、血途、刀途という地獄、餓鬼、畜生の迷いと苦しみの三つの世界であり、焦熱地獄、血の池地獄、針の山地獄ともいわれています。このような迷いの世界を強い智恵で打ち破り、仏道に入れて覚りに至らしめるというのが勢至菩薩のお力であります。
------ 一つに結ぶ------
 名前の如く、得大な智慧の勢いをもって、直路(真っすぐな路)を示して、極楽浄土へ至らしめるという徳目を備える。
 「觀無量寿経」には、「知恵の光をもって、普く一切を照らし三塗(さんず)を離れ無上の力を得る」と説かれ、苦しみや迷いの世界に在る者を、三世に亙って広遠に
続く悲願と、十方自在に巡らす神力を駆使して、智慧(釈尊の教えの理論や道理で、世の全て見通す、或いは理解して認識する賢さ)の光で包み、衆生を抱きかかえて成仏を促すという。 密号を持輪金剛・持光金剛・転輪金剛・空生金剛。
--------なるほど〜-----
 勢至菩薩は、智恵の光をもってあまねく一切を照らし、三途(六道中の三悪道)を離れさせる 無上の力をもっているといわれ、また勢至菩薩が足をただ投じただけでも、三千世界や悪魔の宮殿をも震動するほどであるといわれています。
 勢至菩薩は、西方極楽浄土の教主である阿弥陀とともに観音や多数の奏楽・供養菩薩などと雲に乗り、極楽浄土から浄土往生を願う臨終の人々を迎えに来るという信仰をもとに描かれる阿弥陀聖衆来迎図(あみだしょうじゅらいごうず)に、合掌し観音とともに聖衆の先頭部にその姿が描かれています。また、大師が中国より請来した両
部曼荼羅中の胎蔵曼荼羅、蓮華部院(観音院)にも大勢至菩薩として描かれ、衆生が本来的に持っている仏心を大きく開かせようとする意欲を示している菩薩とされています。

きっと午歳生まれの守り神として。そして勢至菩薩が今世も来世(死後)も智恵を授けてこの子供を助けてくれますように!という願いを込めてたものなんでしょうかー。

山にあろうと、川にあろうと至るところは一つである。と。
山にあるのは、智恵を求めて登る行者。川にあるのは、三途で迷える人。
そういう一切の人々を救うのが勢至の功徳である。

以上です。
凄いですね、理にかなっております。
<その娘さんって午年生まれだったのかも?>
<山にあろうと、川にあろうと至るところは一つである>
<勢至菩薩が今世も来世(死後)も智恵を授けてこの子供を助けてくれますように!という願いを込めてたものなんでしょうか>
素晴らしい解釈です。

全く違う解釈をしていた私は感動しました。そして自分がちょっぴり恥ずかしくなりました。
その内容はまた後日。

勢至の功徳

2005年2月23日 お仕事
山川を
右と左にかき分けて
一つにむすぶ
勢至の功徳

この歌は、お寺の同僚がお参りに行っているお宅で、歌の意味を質問されたと、私にも教えてくれた歌です。

最近若い娘を亡くして(自死です)、お参りをしているお宅だが、その娘の名付け親がお坊さんで、その時名前と一緒に上記の歌も贈ってくれたという。
そういう謂われのある歌です。

娘を亡くした今、命名の字とともに、歌も出てきて、改めてこの歌の意味を知りたいと思ったのだが、命名してくださったお坊さんも既に御亡くなりになっており、もう聞けないという事です。

皆さんはこの歌をどう解釈しますか?

子供が誕生した時の歌である事から、
両親が子供を授かった喜びを表現しているのでは?と推察されます。

今、途中まで私なりに解釈は出来ているのですが、それはまた後日に。

ちなみに
勢至菩薩とは、梵語ではマハーストハーマ・プラープタといい「大勢至菩薩」「得大
勢」ともいい、智恵の光明が強くて一切を照らし、人々を救うとされます。阿弥陀如
来の智慧を表現する、脇侍の菩薩である。http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/seishi.htm

お坊さんだけに、そこに何かの意味を込めているのでしょうか?
先日、「行列のできる法律相談所」http://www.ntv.co.jp/horitsu/index.htmlで島田紳介が、しばらく謹慎してい時に貰った、恩師からの手紙に一言だけ書いてあった言葉が、今日の日記のテーマである。

番組中に紳介も言っていたが、彼は高校時代は京都の仏教系の高校に通っていたのである。
実はその仏教系の高校とは大谷高等学校の事である。
http://61.126.46.250/index.html

私が勤めているお寺も同じ系統の宗派で「宗教法人 真宗大谷派」という。
わかりやすく言うと「南無阿弥陀仏」と称える事によってどんな悪人でも善人でも、浄土に往生し、救われると説く、親鸞聖人を宗祖と仰ぐ宗派である。

島田紳介の高校時代のエピソード

宗教の時間に、先生のお話を聞いて「お〜 浄土ってそんないい所なら、みんなで修学旅行に行こうやんけ〜」などと言って笑わせていたとか。
(私の大学時代の恩師談)

また、有名人になってからは「わしは、高校時代に先生から「おまえは大谷高校のゴミや」と言われてたんや、でも最近高校を訪ねたら「お前は大谷高校の誇りや」って言われた」「ゴミから”ほこり”へちょっとランクアップしとったわ」と笑わせていたらしい。(私の大学時代の恩師談)

そんな島田紳介は高校時代一度も欠席したことがなかったという。「無茶苦茶やっとったからね、楽しかったわ〜」(これは本人がテレビで言っていた)

そんな紳介が人生最悪の時に恩師から一通の手紙が届いた。
一言だけ書いてあった言葉は
「今しか見えないものを、しっかり見ておきなさい」
というものだった。

「人間って年をとってくると辛くて泣く事よりも、感動して泣く事の方が多くなるですよ」という(多分コント赤信号の渡辺正行のコメント)、言葉から話題が派生して、「そうそう、ほんの些細な事や、短い一言で泣いたりするものなんや」という枕からこのエピソードが聞ける事が出来た。

この恩師からの一言で島田紳介は泣いたそうである。

ゲスト一同がジ〜ンとしている所に
「東野、おまえなにポカ〜ンとしとんのや」
で、大爆笑。
(ここらへんの笑いのツボは説明しきれませんが)

単に感動話で終わらないところが、さすがである。
これからも笑かしてくださいね。

握りこぶし

2005年2月10日 お仕事
お参りに行ったお宅に、お仏壇がある部屋に介護用ベッドがあり、おばあちゃんはそのベッドに座っておいででした。
おばあちゃんの息子さん(主人)とその奥さん3人でおつとめをする。

読経がおわって、お茶をいただいていた。主人が
「あなたお寺の読経は他のお寺さんと違ってますね」
といわれ、ドキッとしたが、話しを聞くと「響きが素晴らしい」という内容だったのでホッとした。しばらくお経の話しになる。

おばあちゃんの座っているベッドには本棚がおいてあり、仏教関連の本がたくさん置いてある。

「熱心に聞法されているのですね」
「そんな事ないですよ。今は半身不随で隣の教務所にお参りにも行けません」
「そうですか、(半身不随とは)大変ですね」
「洗濯から食事まで全部お世話してもらってます」
と申し訳なさそうに言う「洗濯物を畳む事も出来ないのです、感謝してます」
チラッと奥さんの方を見ると、黙って下を向いている。

「私も入院した事があるのですが、最初の頃は体もひどくて、それを診てくれたり、看護してくれるお医者さんや看護婦さんに感謝しているのですが、元気になってくるとだんだんと我がままな自分が出てくるのです。」
「おまけに、「医療ミスが無いか?」なんて疑心暗鬼になったりして点滴の袋をチェックしたりね」「ホント、のど元過ぎれば、」ですわ。

しばらく「おまかせ」と言いながらお任せできない人間の本性の話しで盛り上がった。お嫁さんもニコニコと笑っている。こんな話しが出来るのも、おばあちゃんや、おそらく、夫婦の方も仏法を聞いているからだと感じた。

お釈迦様は「私には握りこぶしがない」という表現を使う。
全て、洗いざらい、何も隠さず話しているという事で、それはある一人の高弟だけを特別扱いして、仏法の秘伝を教える事は無い。という意味である。
「特別な巻物を君だけに伝える」という事が無いという事で、真理は全ての人に通じるという仏教の理念を表現している。

翻ってみると、私たちはみんな何らかの握りこぶしをいつも持っている。
イザとなったら使う隠し球である。疑心暗鬼の握りこぶし。最終兵器。保険。

しかし、その握りこぶしが却って自分自身を縛っている。「手のひらを開いてみなさい」とお釈迦様は言う。そうしたら自由にものを掴める、握手が出来ると。

さあ?love 坊主

2005年1月14日 恋愛
ああ〜!
本当に?
ああ。もちろん。

さあ、話してよ。

ボヘミアンラプソディー のように上手くは歌えないけれども、
君の声の響きそのものが好きだから。僕は繰り返し歌う。

あなたと同じような響きで歌えないけれども、それがまたもどかしくもあり、気に入っているい所でもある。
だって、同じでないからこそ、二人の出会いはあじがあるんだから。

だってあなたと同じになってしまったら、二人、出会う事もなかったろうし。

とにかく、難し事はさておいて、あなたの事が好きだってことをいいたいんだ。

本当に?
ああ。もちろん。

さあ、話してよ。
短い言葉で
「愛してる」と
永遠の長い言葉で

いくつもの音楽があなたの体を駆け巡ってるのを感じるでしょ?

それが、きっと僕なんだ。そしてあなたなんだ。

love 坊主 

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