二ヶ月の命

2004年11月7日 お仕事
今、枕勤めから帰ってきました。(人が亡くなって、始めて御勤めする事)
なんと、生まれて2ヶ月程の赤ちゃんの死でした。

母親は20歳程、でも泣いていません、これは珍しい事です、家の他の人も泣いていません、淡々としています。

お経が終わった後、御文をあげ振り返ると、母親は涙を流していましたが。狂ったようなそんな風でもありませんでした。

普段私は死亡の原因を聞かないのですが、今日は家族皆が落ち着いた様子だったので、聞いてみると、生まれながらに心臓が反対の右側についていたのが原因だったとのこと。 母親や家族の落ち着き方は、長く生きる事が出来ないという覚悟が前もってあったからなのでしょう。

死因の欄には「心不全」とある。
あまりにも短い、あっという間の人生。仏教では命は短命でも、長寿でもともに尊い命であると教えられています。
「死に善悪なし」
いい死に方、悪い死に方。いい生き方、悪い生き方。私たちはすぐにそのように、自分自身や人の命を評価したり、天秤にかけたりしますが。
本来の私たちに与えられた命は、私たちの小さな了見ではかる事が出来ない程、尊いと教えてくれます。

亡くなった赤ちゃんは子供用の布団に横たわって、静かに目を閉じていました。可愛らしい男の子でした。

病院にて

2004年11月6日
朝に市民病院のy先生から携帯がかかってきた。「なんだ?」
と、話を聞いてみると「知り合いの先生のマックが壊れたので修理をしてほしい」
とのこと。
実は現在も修理中なのだ。

私は仕事場ではウィンドウズを使っているが、マックユーザーなので難しい事でなければ、よろこんで人のマックを触りにいくのです。
マックユーザー少ないからね〜

行ってみるとそのパソコンの持ち主は女医さん!!であった!
が、お互いもう少し年が近かったらよかったのにと思うのでした。

お茶や梨を出してくれました。本棚に難しそうな本が並んでいたが
『肝臓2004』とデッカく表題がついている小冊子には少々笑った。

いまからまた行ってきます。
「最近お葬式に参列しても、悲しくなくなりました」と言われてた。4年前夫が橋の欄干に車で突っ込んで亡くなった奥さんの言葉である。まだサッカー大好きの高校生と看護学校に二人の子供がいる頃の出来事である。

身内のあまりにも悲しい出来事のあまり、他人の不幸に同調できないほど感情を損なってしまったという事かと思い聞いていた。

夫を事故でなくし、自分自身は悲しみに沈んでいたが、それをきっかけに子供たちは医者を目指し、上の子は今年、国立病院の看護婦に内定が決まり。下の子は医学部に合格したのである。

「もし、この事がなかったなら、我が子はこんなに一生懸命に道を求める生き方をしなかったでしょう」

看護学校に通っていた子はその後、大学院に転入して更に励み、下の子は何処でもいいが、大学に入れたらいいと思っていたが、自ら医者の道を選んだのだそうだ。

「わたしは、ごらんのとおりで何も出来ないけれど、子供達がこんなに成長したのは、夫の死があっての事だと思うのです」

死別は悲しい出来事であるが、それだけにとどまらない。その死をどう受け止めるかによって、尊い出来事に転化することもある。

亡きお父さんは今も家族の中に生きているのであった。
love

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