「しまった!」          

お経をあげようとした瞬間、法衣のたもとに入れている携帯が鳴った。マナーモードにしておくのを忘れていたのだ。

たくさんのお参りの方が後ろにいるのであわてて消そうとする。

今からお経をお勤めするという時に、失礼な話である。
しかし、後ろから大爆笑がおこった。

好き好き好き好き好き好き 愛してる
好き好き好き好き好き好き 一休さん

「とんちんかんちん一休さん」 のテーマ曲が私の着うたメロディーだったのだ。坊さんの携帯から一休さんのテーマがお勤めの時に流れたら笑うしかないか・・・。

うしろで若いお母さんが笑いながら「(それ)ほんまですか」とつぶやくのが聞こえた。

お勤めも終わり、色々なお話をしていると、私が独身であり、彼女もいない事を知った若奥さんが「なんで?もてそうなのに」と慰めてくれた。私も調子に乗って「そうですよね、こんないい男をほっといて」と言ったら。

「わかった〜! 着メロが一休さんだからだ」(爆笑)
「・・・」

以上

PS

 あれから着メロを今はやりのオレンジレンジの「花」に変えました。

 が、

 やはり、何も変わってないとです。
今日は風邪も快方に向かい、心身ともに快適でした。
この時期はお参りも少なく、お寺にゆっくりと事務の仕事をしています。
坊さんってお経をあげているだけではないのです。

今日のお参りは、若くしてなくなった息子さんの命日のおつとめでした。
「御文をいろいろ聞いてみたい」というお参りの方のリクエストがきっかけで、(お手紙形式のお説教でお経の後に必ず読む「御文の意味を知りたい」ということになり、御文の解説のレジュメを作ってこれで三回目である。

作って持っていき読むのはいいのだが、半のは今イチである。「難しい」という意見が多いので、今回は現代語訳を作って配ったのだが、今日の反応も今イチでした。

今度はレジュメ+わかりやすい解説をしたいと思っている。
今日は亡くなっただんなのお嫁さんが始めてにっこり挨拶してくれたのでホッとしたが。お経が終わってしまうと、いつものようにすぐに部屋を出て行ってしまった。

レジュメに目を通したが(熱心にみているのは雰囲気でわかる)何の意見も帰ってこない。

結婚三ヶ月で夫を亡くしたのだから、無理もない。
仏教の言葉の片端でもいいから、心のどこかに残ってほしいと思う。

そのためのきっかけを作るのが私の役目だと思う。
すぐに何かが変わるというのではなく、いつかそれが芽を出し成長して、花を咲かすはずである。
今日は、風邪をひいたようで、ぐったりしてました。
やっとなんとか一日の日程をこなした感じ。

新たなことにチャレンジする気持ちだけが、空回りしてました。
職場の後輩がビートルズの赤版、青版をレンタルしていて、CDへの焼き方を教えてあげた。

ビートルズは大好きで、それでも久しぶりに聞いて「なつかし〜」感激!
音楽って不思議だ。初めて聞いたときの感動が、ありありとよみがえります。

その時の自分の感情や部屋の匂いとかまで浮き上がってくる。タイムマシンでそのときの自分に戻ったみたいな感覚になる。
今日は、風邪気味だったこともあってか、よけいにトリップ感が深かった。

「音楽鑑賞」昔は趣味の欄に解く書かれていたと思うが。最近はどうなんだろう?
ながら聞きが多くなっているのではないだろうか?パソコンうちながら、漫画を読みながら、運転しながら、ランニングしながら。それはそれで楽しいが。
音楽に全身を耳にして聞き入るという聞き方は少なくなってきているのではないだろうか?

私自身。今日久しぶりに音楽のみに没頭した時間を持って、とても気持ちが充実していた。中学に入って、初めてラジカセを買ってもらった。カセットテープにラジオに流れるお気に入りの音楽を録音していた頃がなつかしい。

初めて聞く音楽に耳を傾けDJのコメントが終わった瞬間、録音ボタンを押す。カセットテープに少しでも多くの音楽を入れたいから真剣勝負なのだ。3分の2ほどまで聞いて今イチだったら、巻き戻してまた次の音楽に備える。

感動した音楽をうまくダビングできた日は最高の気分だったな〜。

エアーチェックの喜びを再び思い出させてくれた。ビートルズ

頑固者

2005年1月8日 お仕事
今日は7日、毎月法話会がある日である。お経をみんなで唱和して、お説教を聞き、そのあと座談会をする。
実質今年初めての法話会であり、ご門徒さんとゆっくりお話しする機会であった。

仏法を長年聞いておいでになった方々とお話すると心和らぐ。そして励ましを受ける。坊主としての生き方の方向性を言外に含んでお話ししてくださる、その柔らかな姿勢に感銘を受ける。

本当の説教は、説教臭くないものである。口から伝わる説教ではなく、その人の体からにじみ出てくる光である。私のような頑固ものの心にも染み通る力が、仏法を聞いている方々にはある。
あけましておめでとうございます。

今年は少ないけれど、年賀状を出しました。パソコンを持っていながら、その機能を使ったことがなかったけれど、やってみたら結構手間がかかりながらも、作る楽しみを味わえた。年賀状もいいかも。

ここの日記と同じように、書いているうちに文章があふれてくる感覚は楽しい。
友人や先輩に一言買い手送るのは楽しいことかもしれない。虚礼として年賀状の習慣がなくなっているけれども、年賀状もいいものだと今年は思った。

しかし、年末から年始まで、飲み会が続き、気持ちも緩んでだらだらだったけれど、やっと近頃、素の自分に戻って来れたよ。

日記も久しぶりですね。今日も飲み買いでしたが早めに帰って日記を書きました。
このくらいの飲みがいいね〜

年を取ることは悪いことばかりではない、体も弱くなるせいか、飲み納めの時期もよくわかるようになったのかな?

いい感じである。

12月31日の日記

2004年12月30日 お仕事
先日お参りにいったら、いくら呼び鈴を鳴らしても、玄関で大声を上げても出てこない。おばあちゃん一人暮らしなので心配になって部屋に上がってみた。

こたつで寝ていた。

念のため近くまで行って確認してみたら、いびきをかいて寝ていたので安心した。
そのまま、書き置きをして帰りました。あまりにも気持ち良さそうだったので。
こんなの初めて。

お寺で飼っていた柴犬ちゃんーが先日、亡くなりました。住職から朝の勤行前に内線電話がかかり、それが分った。

13歳でした。人間でいうと80歳くらいの寿命になるそうです。

私は幼い頃やはりーきたろうーという名のセントバーナードを飼っていて、その犬に噛まれた事があったのを思い出しました。

実際は甘かみだったらしけれど、大泣きしたのを覚えている。

一昨年は、10年ほど前にお寺に迷い込んだ野良犬が亡くなって、母親が悲しんでいたのを思い出した。

兄弟の雄犬ちゃんは寂しそうにしているらしい。 
たまに喧嘩していたけれど、喧嘩相手がいなくなって寂しいのでしょう。   

最近ラジオで話題の愛犬を歌った曲「ジョンの純な恋物語」を思い出しました。試聴も出来ます。http://living-with-dogs.com/jp/living/cd1-j.html

お寺は大掃除と本堂の荘厳も終わり、後は大晦日の除夜の鐘を迎えるばかりとなりました。毎年恒例の年越し蕎の振る舞いもあります。参道と本堂前を美しく飾ってお迎えしております。是非お参り下さい。

まさにこれである

2004年12月23日 恋愛
明日は、お見合いの日である。

大学時代の友人の紹介で。

お見合いといっても、友人のお寺の報恩講に出仕するついでに会うといった、気軽なもの。お相手は30歳くらいらしい。お寺の長女という事と、どこの生まれかくらいの情報他は何も知らない。

私は生まれてこのかた、お見合いした回数は3回あるが、どれもいい思い出がない。
お見合いはしがらみである。実はこの他にもお見合い話がもう一つある。

先日の日記といい、今年後半になってお見合い話が続発である。この歳になってお見合い話ももうないだろうと思っていたのに、こうやって沢山あると反面嬉しくなる。

ロウソクは消える直前に一瞬明るくなる。

まさにこれである。

嫌だけど指名されると嬉しい = 学級委員になるのは嫌だけど、推薦されるとまんざらではないの法則。

まさにこれである。

優柔不断に生きていると。そのうち信頼を失うよ。
誰を選ぶかでなく、誰に選ばれるかでなく、自分がどう生きるかである。

まさにこうありたい。
LOVE
今日は、山の町へお参りに行きました。
町の中を世話方につれられて、6軒次々とお参りするのです。

4軒目のお宅でお内仏に向かってお経をあげようとしていると
おばあちゃんがつぶやくように言うには
「生き仏さんに来てもらってお参りするからね」
???俺の事か???
読経中「生きた心地がしませんでした」
山のおじいちゃん、おばあちゃんは信仰が深いという印象がありますが。
それはその通りなのです。
しかし、「生き仏」的発言をする信仰は初めて生で聞いたのです。
お勤めの後におばちゃんが
「やや!やっぱりこの人は生き仏じゃない〜 ひっ捕らえよ〜」
と自分の正体を暴かれるんじゃないかと、普段よりお経に力が入っちゃいました。

昔話として語られた逸話に、本山の門主がある土地を訪れて、ある家に滞在した。
そのお宅でお風呂をよばれたのだが、門主が入浴したお風呂の水を「ありがたい」
「功徳がある」といって飲んだ!という話を思い出しながらお経を続けていました。

誤解で崇拝されるということは、そのぶり返しが怖いという事でもあります。

 普通にお勤めは終わり(当たり前ですが)次のお宅にお参りに行くと、そのおばあちゃんがついて来ておいでで(町によっては両隣のお宅のお参りも一緒にする習慣がある)そのお宅でも読経を始めようとしたら「生き仏さんに来てもらってお参りするからね」とやはり同じ言葉を。

ヒヒ〜ン!\(@o@)/

私にいわれているという事を確信して、思わず「プッ」と吹き出してしまったら。
そのおばあちゃんも「ふふっ」と吹き出したではありませんか。
安心しました。
おばあちゃんは、坊さんとしては若い私をちょっぴりビックリさせようとして、言われたようです。しかし、そのあと「ありがと〜 なんまんだ〜」と吹き出した自分を打ち消そうとするように独白されました。

「ありがとう」

これは浄土真宗特有の祈りの言葉です。仏様に頼み事をする祈り(または頼み事がかなった時の)ではなく、現在ここにある自分の命の尊さに気づき、今に自足している者の感謝の祈りが「南無阿弥陀仏」の教えなのです。

こうなってくると「生き仏さんに来てもらってお参りするからね」という言葉も単に私をからかったのとは違う意味がこもっています。
わたしに対して「あなたは生きた仏教に出会ってますか?」と問っている言葉だったのかも知れません。

坊主である私は、いつもおまいりの方々に背を向けてお勤めをしていますが、背後から聞こえてくる、おばあちゃんのお念仏の声や、つぶやきに育てられているのですね。
先日、お参りに毎月行っていたお宅のお母さんと、金沢音楽堂に行ってきました。
娘さんが琴の演奏で出演するとの事。

変わったコンサートで韓国仁川市交響楽団と金沢の伝統文化ー音楽文化国際交流in石川2004ーとうもの。

和と洋の音楽が楽しめる二度おいしいコンサートでした。初めて第九をフルで聞きました。よくテレビなどで放映される場面は第4楽章の最後の一番盛り上がる部分なのですね。途中うつらうつらしましたが、2楽章は聞いた事があるし、第三楽章のホルンがメインになる部分が心地よかったです。

聞いていて思ったのですが、先日聞いたクラブの音楽に通じるものがある。
同じフレーズのテーマを何度も音調を変えて、重ねながら盛り上げていく手法はベートーベンの得意技なのかもしれません。
現代にベートーベンがタイムスリップしたら、最高のクラブDJになっていたに違いありません。

行きに電車に乗る時、お母さんに「しゅうさん何歳?」と尋ねられて
「37歳です」と答えると「へ〜!?30代前半かと思った」と言われた。
「なんで年なんて聞くんですか?」と尋ねると
「いや〜うちの娘の旦那さんにどうかと思って」と嬉しいことを言って下さる。
でもそのあと「でも37じゃ無理ね。四捨五入したら怖いもんね〜(笑)」
で、わたしも「ハハハ(笑)」ちょっと残念〜!

「娘さんは何歳なのですか?」
「今年で23」
確かに離れ過ぎである。
娘さんは、琴と三味線は師範並みで、なかなかの才女でもある。実は11月5日に登場する娘さんである。

「彼氏はいないのですか?」
「遊び友達はいるのだけど、私その男嫌いなんだよね。ジャニーズ系は嫌」
「何系だったらいいのですか?」
「石原系」
「??石原系って石原裕次郎の事ですか?」
「フフ そうよ」
「いや〜 お母さんその種の男性は絶滅してますよ。」(いつのまにかお母さんっていってる自分が怖い)
「娘さんが、ジャニーズ系を好きというより、そのての人間しか今存在しないのです」
「そうかね〜」と残念そうに「私帽子を前後ろにかぶっているのを見ただけでいや〜」と、しばらく娘さんの恋愛話で盛り上がる。

「娘に彼氏の事聞いたら、すごく怒るしね〜」

娘さんは端から見ると順風満帆のようであるが、母親の悩みはつきないのである。

琴の演奏は20人くらいの出演で私の方がすぐ娘さんを発見した。色がすんごく白いのですぐわかるのである。着物姿が決まっていたし、演奏の事はわからないが、琴さばきが(姿勢が)一番決まっていた。
きっといい旦那さんを見つける事でしょう。

帰りに出入り口で会った。「一番かっこ良かったよ」と変なほめ方しか出来なかったのが残念「ほんとですか〜」と照れていた。
近くで見たら化粧がすごかった。舞台用なのかな?

新年のコンサートにも誘ってくれるそうだ。門徒さんとこのようなおつきあい出来て本当にうれしかった。

ハウルの動く城

2004年12月16日 映画
飲みが続きました。
昨晩はインテリアデザイナー&芸術家のKさんと、先々日は急に電話があってびっくりのyちゃんmちゃんa君と飲んでました。
楽しかったな、先々日はメンバー的にちょっと辛くて気乗りしなかったけれど。Yちゃんは昔好きだった人なので会いたくもあり、中途半端な気持ちで行ったけれど、会ってみると思いのほか楽しめました。覚悟次第でどんな状況でも楽しめるものですね。こんな事言ってたら修行が足らんかな?
先日のKさんとの飲みは大変盛り上がり、愛知万博に参加する話で、盛り上がりはピークに達しました。これは実現するかも。楽しみです。
私は大阪万国博覧会が開催された時には3歳で幼すぎると連れて行ってもらえなかったのが心残りなので、愛知万博は本当に楽しみにしているのです。

忙しい時期も14日で終わり、今日は「ハウルの動く城」を見てきました。宮崎駿が原作を読んで感動して制作したという鳴り物入りでの公開作品でしたが、今ひとつ物足りないものを感じました。原作の世界観を小さくまとめてしまった感が否めません。おばあさんに変えられてしまう少女が様々な試練を乗り越えて成長してゆき、最後には愛を取り戻す。その時すべての魔法が解けて自分自身をも取り戻す。というコンセプトが観客の心の底深くに届ききっていないのではないでしょうか。

私たち現代人の多くは、自分自身の年齢を生ききれていない。ヒロインの少女のようにいつの間にか魔法をかけられて、幼い頃の心に秘めていた大切な約束を忘れてしまっているのです。
私たちにかけられた魔法を解くためには何か必要なのか、悪い魔法使いを倒す事ではなかったのでした。

おどり念仏

2004年12月12日 音楽
昨晩は生まれて初めてクラブというところへ、行ってきました。
http://www.eighthall.com/

私は年齢的にはディスコ世代だけれども、当時一度も行った事がなかった。現在はディスコは無くなってしまい、今はクラブという呼び方に変わって、音楽も中身も同時に変わったという事は知っていたけれど、まさか自分が行く事になるとは思っても見なかった。

そこでDJをしている飲み友達にさそわれたのだ。
今日はめちゃくちゃ忙しい日だったので、飲まずに友達がまわすのを見たらすぐ帰るつもりだったけれど、到着するなりビールを注文。
若い人ばかりで(あたりまえか)圧倒されましたが、何せホールは暗いので全然平気です。それに着いたばかりのときは、開城から0分ほどもたっていたのに、10人くらいしかひとがいなく。数少ない席に座って飲んでました。心臓がブルブルするくらいのスゴ〜イ大音量にもすぐに慣れてきた。

だんだんと人が増えて来て、400人収容できるホールが徐々にすごい熱気になる。ダンスを踊るといっても体を「ドン ドン ドン ドン」という曲に会わせて揺らすぐらいである。

大音量の単調なリズムがズーッと続く中に、微妙な変調がかかり、前面に出ている音がバックグラウンドの音と交差する時に一気におとずれる開放感がたまらなく感じてくる、前座のDJからだんだんと大御所のDJにバトンタッチしていく。

11:00飲み友達の登場だ、メインの大沢伸一(MONDO GROSSO)ーbirdをプロデュースした人ーhttp://www.realeyes.org の直前だ、かなりの盛り上がりを見せてくれた。本当は私は素人だからよくわからないのだけど、個人的には良かった。

しかし、その後大沢伸一にバトンタッチして、すんごい盛り上がり、そして二日前にデビューした19歳の女性シンガー信近エリがhttp://www.nobuchikaeri.comが登場して新曲を歌いながら登場!盛り上がったが、音量のバランスが悪く、肝心のボーカルがあまり聞こえない。これは残念。

しかし、それとは関係なく、場はヒートアップ!踊れないハズの僕も踊ってました。感情が解放されて気持ちいい。となりに踊っている女の子と目が合ってニッコリ。お互いわざとからだぶつけあって踊りました。
すると、彼氏らしき人か、その女の子を狙っている人なのかわからない人ににらまれました。でも、平気。その女の子を誘って飲みに行ける確信めいたものまで湧いてくる。そんな強気の感情がでるのは生まれて初めてです。

音楽とダンスとお酒の力ですね。はじめて会う人たちなのに皆と心が通じ合っている感じになのです。今考えるとちょっと怖い気もするけども。
「踊り念仏」が流行ったのってわかる気がする。

帰りたくない。友人によると朝の5時まで続くらしい。

結局、つぎのDJにバトンタッチの時点で帰りました。
今日の法務は辛かったけれど、昨晩充実した時間を過ごしたせいか、お仕事に支障は出ませんでした。

年甲斐もない事をしてしまったけれど。楽しかった。
もう十年若かったら、これをきっかけに毎月通ってる事でしょう。

儀式の大切さ

2004年12月8日 お仕事
今、受験勉強を終えた後のようななつかしい感じである。
二日前に急に指名された、法話会が終わった爽快感と、敗北感。
結局、「ご消息」の本番では何度も間違えてしまい、読み終えた後、世話方の目が険しく光っていた。無念である。前半は上手くいったが、後半はまるでロールハッシャテストを受けているみたいでしどろもどろになってしまった。

せっかく去年上手に読めたからと、指名してくれたのに、推薦してくれた世話方も裏切られた気分ではないだろうか。残念である。

そこで強く思った事は、この伝統ある「ご消息」を今日まで相続して、その日にお講を開きそれを拝読するという事は。私が思っている以上に重大なことなのだ。

お寺さんによっては、ご消息をあたまから読まず。現代文の御文で済ませるところもあるらしい。、儀式の一環として読むのだから、どれを読んでも同じであるという気持ちがそこにはある。むしろ、その後の法話の方が大事だと思っている節もあると思う。
しかしそれは、その町の伝統をないがしろにすることになり、ひいては仏教の教えも衰退させる事になる。
自分自身坊主で、儀式に従事するものであるが。儀式の伝統の大切さを改めて考えさせられた日であった。

法話の方は、自分の採点では及第点でした。この日記に日々のお参りの事などを書いているのが、とてもいい効果を与えてくれている事がわかった。

その日の事を書いていると、しっかり記憶に吸収されるので、人に話すときもスムーズにお話が出来るようだ。
この日記に感謝!

法話

2004年12月7日 お仕事
先日と、先々日は東京から友人が来て、楽しく飲んだのでした。昨年石川から東京に引っ越して、エステを開業している。体は小さいが大変パワフルな女性である。
お仕事も大変上手くいっているようだ。

今度東京に行ったら、エステやってもらおっと。

と、楽しい日を過ごしたが、お寺によってみると、他の人が担当のはずだった、法話会が私になっているではないか!?
昨年に私が行った町の法話会で、たまたまその日は法話が上手くいったみたいで、評判がよく、ご指名がかかったのだ。
うれしいけど、やだ。何故かというと、私は法話が苦手なのだ。でも、変に受けを狙わず、自分の普段教えられている事を話すつもりです。

問題はもう一つあって、その町には「御消息」といわれる、御文があるので、それを読むのだが、文政6年に書かれた手紙なので、ミミズが這ったような文字なのだ。
これを読むのが一苦労である。
現在も練習している。
大丈夫だろうか?がんばるぞ〜

淡々とした日

2004年12月4日 日常
昨日は、二年ぶりに首と腰が同時に痛くなり、カイロプラクティスに行った。大分良くなったのだが、明日はとても忙しい日なので大事をとって、今日も近くの温泉に行ってあんまをしてもらった。これも2年ぶりだろうか?

長年の経験でこのままでは、むち打ちになってしまう事がわかるのだ。最近は体調に気をつけていたのに、無念である。

最近は飲みにも行っていないし、タバコも三日ほどやめているし、健康に気を使っているにもかかわらずあまり体調が良くないのは辛い。

不摂生してて体調が悪いのと、あんまり変わらないような気がする。

明日が不安である。
ちょっとローテンションの今日でした。

mとよく行っていた、お店のままから深夜1:30に電話がアリ。酔っぱらっていて、mがあれから(11/15から)こない、と言う。なんと毎晩家まで行って、自宅に電話するけれども本人は出ないし(携帯はずっと前からつながっていない)、部屋にも明かりついてないし。暴力彼氏のところにいるのでは?ととっても心配そうに話す。

酔っぱらって。

深夜1:30に。

で、今日家に電話してみたら。本人が出た。アッケラカンと
「今準備してるから後で電話する」
とのこと。
とっても元気そうだったので一安心した。最近変な事件が多いから本当に心配だった。

もちろん電話はかかってこないが、元気に生きてて良かったと思ったのでした。

お休みなさい。
11月6日に書いた、女医さんから病院のマックを見てほしいとの連絡あり。

あれから、大変感謝されて、わざわざ私の勤めているお寺まで、お礼に広島風お好み焼きを持って来てくれていた。まず驚いたのは、お好み焼き。私は広島生まれなのだ、それを知っていたっけ?と不思議に思った。次に、一緒に入っていた名刺を見ると医学博士って書いてある。う〜ん個室を持っているしエライひとかな?とは思っていたけど、なま博士に初めて会いました。

今日はソフトやハードをインストールして設定するだけの簡単なもので、いろいろ話しながらやっていると。なんとその方は広島出身でした〜!しかも石川に来た時期も一緒!年齢はたぶん親子ほどだと思った。うちの母より少し若い感じ。原爆の話が生々しかったし。

それにしても、この方の部屋はとっても汚いのですが、その散らかり方がいかにも研究室って感じで(本当は事務室)散らかり方で、なぜかわたしはとっても落ち着くのでした。
お話も面白い人で、今度他の先生とも一緒に飲みに行く約束しました。楽しみ。

坊主と医者が飲みにいくのは珍しいかも。(怪しいかも?)

ちなみに先生の専門は肝臓なのでした(^0^)
時々禁酒指令の出ている患者さんに会う事があって気まずいとか・・・。

では、おやみなさ〜い
進んでも進んでも、前にいかないものはな〜んだ?と、知り合いの子供からクイズを貰った。
「時計の針は」 不正解
「ごはんが、ごはんがススムくん」も不正解
「食欲」でいま合否を待っているところです。

まだ5歳くらいの、クイズ大好きの女の子で。時々お母さんの携帯からクイズが届く。可愛いんだな〜
私の事を一休さんとでも思っているのだろうか?あまり気の利いた答えが出来ないのですがね。
明日は、久しぶりにお葬式もなく、平常通りの日程です。
おやすみなさい

ビョーク

2004年12月1日 音楽
今日お参りの途中にラジオからビョークの曲が流れて来た、初めてビョークを知ったのは大学時代。後輩のラジカセから今まで聞いた事のない不思議なテンションの曲が流れて来た
「これなんて人の曲?」
「ビョークです」
「???びょーくって? 四苦八苦の”病苦”の事?」と尋ね返した自分がなんともわれながら愛おしい。坊さんらしい間違え方ではないか!?

ちなみに、四苦とは 生・老・病・死 八苦とは先の四苦プラス1・愛別離苦(愛している人と分かれなくてはならない苦しみ) 2・怨憎会苦(憎しみ会っている人と共に人生を送らなければならない苦しみ) 3・求不得苦(求めたものが得られない苦しみ) 4・五陰盛苦(肉体(目・耳・鼻・舌・皮膚感覚)に束縛される苦しみをプラスしたもである。

ビョークとの二度目の出会いは、映画「ダンサー インザ ダーク」
これは、公開前から題名に惹かれていたのだけれども、ビョークが主演&音楽担当とは全く知らなかった。

お見合いのデートで見に行ったのを思い出す。お見合いで見に行くもんじゃなかったですが(笑)
私は結構感動したんだけれども、相手の女性はけちょんけちょんにけなしていたのを今でも覚えています。

ファンとまではいかないけれど、印象に残るアーティストです。

http://www.universal-music.co.jp/u-pop/artist/bjork/index.html
ここで最新アルバムが(プロモーションビデオ P Vあり)
http://www.bjork.com/videogallery/
過去のpvあります。

早寝早起き

2004年12月1日 日常
昨晩は、久しぶりに夜の時間帯のお勤めがなかった。家に帰って、これまた久しぶりに、晩飯時に晩ご飯を食べた、そしてそのまま寝た・・・・ 途中何度か目が覚めたが、変な夢をいっぱい見たな〜 もう全部忘れましたが。

結局3時頃起きて、お風呂にゆっくり浸かって今こうして書いてます。
まるで、永平寺の修行僧の一日のようですね。

でも、この生活いいかもしれません。9時過ぎには寝て、午前3時頃起きて、静かな自分の時間を持つという生活。

門徒さんのSさんは建築、土木などをトータルコーディネートする仕事をしているが、やはり9時に寝て朝早く起きて仕事をするのだそうだ、仕事をばりばりこなしているが、あくせくした感じはまったくない。どこか心に余裕があるのは、そんな生活が板についているからだと思う。

「”あいつは、そういう生活をしている”と思わせれば無理にお酒に誘われる事もないよ」とニコニコしながら答えてくれた。

私は誘われたいんだよね〜(^^;)

11月30日の日記

2004年11月29日
連日のおまりの疲れがたまって、お風呂に入って柔軟体操しても足の疲れがとれない。明日の午前中のお参りを乗り切れば、午後は少し時間が取れるので。バンテリンでも買おうかな。

しかし、今年はこれでも体調がいいので、お参りをした後に、家の人とお話をする余裕があるので、それがうれしい。以前はお経を勤める事をこなすだけで精一杯だったので、これからも体調に気をつけて。お経を大切に勤めて、少しだけでも会話を大切にしていきたい。

坊主なのにほんと、会話が苦手なんですよね。最近少しずつではあるけれど、人とお話をする事の大切さがわかって来たような気がする。たわいのない話でもいい、とにかく話す。いいお話をしようなんて事は返ってよくないという事もわかって来た。それが自分にプレッシャーになって、結局普通の話もできなくなるんですね〜

この日記もそんなスタンスで書いています。とにかく話す、とにかく書いてみる。たまに、自分が思ってもみないような世界が開ける事がタマにある。

それでは、おやすみなさい。

心を込めて

2004年11月28日 お仕事
今日は、大変疲れたな〜 お仕事が忙しかった事もあるけれど。
昨晩パーティーがあり。夜遅くまで過ごしてしまったからだ。

でも、大変楽しい会だったので悔いはない。
個性的な人と出会いは人生に活気を与えてくれる。

坊主なのでそれ関連のつながりが多いが、昨晩は様々な職業の人とであった。
7カ国語を操るカナダ人とはなせたのも良かった。私は英語もわからないし、彼も日本語はあまり出来ないが、ジェスチャーなどを交えて話すと結構伝わるものだ。

その人に会う前に、昨日の最後のお参りでは法話をしたのである。他のところで何度も話しているお話なので、普通に話したのだが今ひとつ聞いている人の反応が悪くて、少し落ち込んでいた。
同じ話をしても、日によって調子の悪いときがあるのはよくある事なのだが、昨日はそんなに調子が悪い日でもなかったので、原因が分からず。少し落ち込んでのパーティー出席であった。

昨日カナダ人と話している時、なぜこの人は何カ国もの言葉を操れるのか?と聞いてみたが、質問がうまく出来ず、結局聞けずじまいだったが、その人と話しているうちに感じたのは、人に自分の意思を伝えるその意気込みがすごいという事だ。その人はただ単に言語能力が優れているのではなく、コミュニケーションをするという事に対して一生懸命なのだ。

自分は何を表現したいのか、相手にそれを伝えるためにはどうしたらいいのか?

頭の隅にその事が引っかかったまま、今日も法話をする機会があった。いつも話している話を今日もした。「自分は何を表現したいのか、相手にそれを伝えるためにはどうしたらいいのか?」と自問しながら、出来上がったシナリオ通りでなく、聞いている方の反応に注意を傾けながら一生懸命話したら。下を向いていた方もこちらを向いて話に耳を傾けてくれるのが感じられた。

昨晩のイマイチと自分でも感じた法話の後には「こんな話初めて聞いた」と感心したように言われた。それは話のいわゆる「ネタ」をほめて下さったのだ。

今日は「いいはなしをありがとう」とほめて下さった。そちらの方が嬉しかったし、これが本当の法話なんだと思った。
内容を工夫するのも大切だが、意気込みもとっても大切なのだ。

昨晩のパーディーで、普段会わないような人たちとお話をする機会を得たおかげで、当たり前の事であるが基本的で大切な事を再確認する貴重な時間を貰った。

1 2 3 4 5 6

 

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索